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昨夜の出来事は、夢ではなかったか。
目が覚めてからヴァレンタインは何度もそう考えた。しかし脳裏にこびりついた声や触れられた記憶はあまりにも生々しく、結局は朝のシャワーを浴びている最中、夢とみなすのは自分の逃げであると結論を下した。
朝を迎えたシェリンガムの屋敷は静寂の中に佇んでいる。清らかな小川が近くを流れ、よく整備された石の道の両脇には草花の絨毯が広がる。背後に擁した森からは朝露の香りと鳥の声。ボートが数艘浮かべられた池で魚が跳ねる音さえ聞こえるような、穏やかな沈黙の中に建つ。帝都で流行りの左右対称の造りではないが申し分なく荘厳な構えであり、鮮やかな青の屋根が森の新緑と引き立て合っていた。
戦うための城ではない。悲しみに暮れる墓碑でもない。ここは日々の生活を営む屋敷。
長い髪を束ねようとして、ヴァレンタインは思い直して腕を下ろす。腰に届くほどの長髪は、実を言うと彼の趣味ではない。鏡に映る自分の姿は女のようで嫌いだった。ただ、この顔を、身体を、熱狂的に好く者が少なからずいる。そのためだけに、ヴァレンタインは美貌を保つ。
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