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ああ、ああ、そうだった。二人分の記憶で、かすれていた部分まで、鮮明によみがえる。
雲に覆われた鈍色の空は、どこまでも広がる青に変わる。
雨にけぶって濁る海は、光を反射しながら空と混じる深藍に変わる。
遮られ光もない日は、燦々と降り注ぐ太陽に変わる。
雨粒に揺れる木々は、太陽に首を伸ばす瑞々しい緑に変わる。
「そうしたら、風が吹いたんだ。」
「そうしたら、足元が少し崩れたの。」
「水色のスニーカーが向こう側に滑り落ちて。」
「吹き上げる風に、かぶってたキャップが飛ばされた。」
「ナツキは、びっくりした顔をしてた。」
「フユキもびっくりした顔をしてた。」
怖くなって、筆が止まる。ここまで、ここまでは全部一緒だった。
ナツキが落ちそうになる瞬間、それは寸分の狂いもなく一致した。
じゃあなんで、ナツキじゃなくて、フユキが死んだんだ。
「ナツキは、僕に手を伸ばした。僕も、ナツキが落ちてしまわないように、引き戻そうと手を伸ばした。」
「…………、」
「でも、届かなかった。15センチ。あと15センチだったんだ。」
小さな褐色の手は、僕の手に触れることなく宙をつかんだ。
「ナツキは、何もつかめずに、僕に手を伸ばしたまま、尾根から落ちていった。」
まざまざと呼び起せる。どんな顔をしていたか。煽る風が頬を撫で上げた感触を。伸ばした手が、何も掴めなかった虚しさも。
「僕は、それを見送ることしかできなかった。」
しばらく、ノートになんの文字も出てこなかった。ぱたぱたと傘を打つ雨音を聞きながら、次の言葉をまった。
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