君か僕のいない夏

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もっと私が注意していれば、いつも来る場所だからと気を抜かなければ、きっと一緒に大人になっただろうに。今年で私は20歳になります。夏休みの宿題で、「20才になった自分」という作文がありました。直前、ここで、大きくなったらどうなりたい、という話をしていました。大きくなれたのは私だけでした。あの日ケーキ屋さんになりたいと言っていた私は、今大学の文学部にいます。20になったら大人になると思っていましたが、あの日からあまり成長がない気もします。 もしも、これをフユキが読んでくれることがあるなら、ありがとう、ごめんね。」 「ここに書いても仕様のないことですが、私の一つの区切りとして。このノートを管理している方へ。不適切な内容と思われましたら、このページを破いてくださって構いません。」 嫌な汗が流れて、口がからからに乾いた。けたたましいはずだったセミの声がはるか遠くに聞こえる。何度も何度も読み返しても、内容が変わることはない。 2007年7月10日、ここでナツキが新た。同じ日にこれを書いた人間の友人が死んだ。同じ日に二人の子供が同じ場所で死んだなんて、知らない。事実であれば、ぼくが知らないはずがない。それになぜ、ナツキが尾根から踏み外す直前に話した内容をこの人は知っているのだろうか。あのとき、この場所にはぼくとナツキ以外の誰もいなかった。そして何より、 「これをフユキが読んでくれることがあるなら、ありがとう、ごめんね。」 なんで、僕の名前が書かれている。まるで、僕が死んでしまったように。 まるでナツキ自身が、このノートを書いているような。 あるわけがない。ありえない。ナツキは死んだ、僕の手が届かなくて、落ちていった。なのに、これはおかしい。偶然にしてはできすぎている。嘘にしては手が込みすぎている。それに、名前だ。もし、あの場所に僕以外のナツキの友人がいたとしよう。それならばナツキの最後を知っているのも頷ける。なのにここに書かれているのは僕の名前だ。 おかしい、気持ち悪い。なにより、これは僕ら二人に対する侮辱じゃないだろうか。僕ら二人だけの自称だったのに、赤の他人がまるで創作物の種にするかのよう。何年たとうと、この出来事は僕にとって大きな意味を持つもので、決して風化することも薄らぐこともない。
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