君か僕のいない夏

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ひどく、もどかしい。もし目の前に彼女がいてくれるなら、きっと目の前で問いただすことができるのに、こんなノートに書いて、相手が山を登ってここへ書きに来るのを待つしかない焦燥感。 思い立ち、カバンの中に入っていた真っ新なノートを出した。悩んでから、「ナツキへ」と表紙に書いて、引き出しに入れた。あの褪せたノートは僕らの伝言板ではなくみんなが好きに書くものだ。こんな個人的なものを書くべきじゃない。それに、誰かに邪魔されたり茶化されたりもしたくなかった。 なにも新しいノートを作ったからと言って邪魔が入らないとは言えない。姿の見えない同士で文通のようなことをするのははたから見たら滑稽だろう。さらにいえば、内容を読めばお互い死んだ人間を探しているのだ。不気味というほかない。それでも、この山に登る人がどうか善意の傍観者であることを願って。 ********** それからナツキは僕の用意したノートにメッセージを書くようになった。「ナツキへ」と書かれた表紙の隣には今「フユキへ」と異なる筆跡で書かれている。いたずらもないわけではない落書きだったり、バカにするような内容であったり。でもそれは些細なことだ。馬鹿馬鹿しいことくらい、きっと僕らが一番知っているから。死んだ人間は帰ってこない。それを僕らはこの10年で誰よりも知っていた。この机の管理を誰がしているのか知らないけれど、管理人がこの僕らのノートを撤去することもなかった。それが善意からか、それとも死者同士で話すという不気味さからかはわからないが、ありがたかった。 僕がナツキが落ちていくのを見た日、ナツキは僕が落ちていくのを見た。 不思議な話だけれど、それは僕らにとって、あったかもしれない話なんだろう。 あの日、どちらがいなくなってもおかしくはなかった。 日々、埋まるノート。そして夏の終わり僕は一つの提案をした。 「8月の30日、2時から会えないか?」 次の日の返答は是、だった。 顔の見えない、死んだはずのナツキ。生きていたかもしれないナツキ。彼女は間違いなく、ナツキだった。 でもどうしても違和感があった。それをどうにかはっきりさせたかった。それを聞くことで終ってしまうとしても。
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