第1章

7/14
前へ
/74ページ
次へ
 広告代理店で扱う案件は大きく分けて二種類ある。コンペとレギュラーだ。広告主である企業の前で、コンセプトやイメージをプレゼンテーションし、複数の広告会社との競合に勝つ事で受注できる仕事がコンペ。もう一方のレギュラーはそういった競合は抜きで依頼がくるパターンだ。これは企業が広告会社の実績やコストに納得した上で直接依頼をしてくる。もしくはこちらから営業を掛けて契約に結び付ける。それらの仕事を単発ではなく定期的なものにするかは、クオリティの高い仕事で応えるという当然の事柄に加えて、営業担当の地道な挨拶回りや接待にも掛かっている。  今日は初めて瀬名を得意先回りに同行させる。今日回る先のいくつかは、そのまま瀬名の担当として引き継ぎをさせる予定だ。 「竹下さん、ご無沙汰しております」  アンティークな木製の扉を開いて店内に入ると、ハートや王冠をモチーフにしたアクセサリーや、レースをあしらった帽子など、女性が好みそうな品々が並んでいる。店内の雰囲気に合ったクラシカルなカウンターでは、女性が電卓を叩いていた。綺麗にネイルアートが施された指が器用に動く。 「あら、悠木くん。こんにちは」  作業に集中していた女性は、こちらに気付いて手を止めた。巻き髪を揺らして笑みを浮かべる。 「今日はどうしたの?」  都内三箇所にセレクトショップを構える竹下さんは、四十代前半には決して見えない若々しい容姿と、反対にその年相応……、はたまたそれ以上の貫禄を時折見せる女性オーナーだ。俺が入社して初めて携わったのが、三店舗目オープンに際してのPOPやダイレクトメール、雑誌やネット広告の仕事だった。なのでこのお店が取引先の中では一番付き合いが長く、思い出深いお得意様だ。竹下さんは慣れない事に空回る俺を、怒りも急かしもせず、姉のように見守ってくれた。……もちろんダメ出しは随所できっちりされたが。
/74ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1204人が本棚に入れています
本棚に追加