![2e34744e-83e8-4d12-bfa7-0421c5fe6276](https://img.estar.jp/public/user_upload/2e34744e-83e8-4d12-bfa7-0421c5fe6276.jpg?width=800&format=jpg)
昼食後、ルーカスは言った。
「アマンダ、僕はこれから用があるから客間で待っててほしい。楽士たちがいろんな曲を
奏でてくれるから愉しんで」
「まあ素敵! ありがとう、ルーカス」
侍女に車イスを押され、笑顔で手を振りながら退出するアマンダを、ルーカスも笑顔で手を振って見送る。
「
爺、話がある」
「は、はい。殿下」
「様子が変だね。何があったんだい? 率直に答えてほしい」
「はい……。では、申し上げます。アマンダ嬢は、私たちが海難事故に遭った夜の歌声の主としか思えません。午前中、殿下の私室から漏れ聞こえた美しい歌声とあの巧みさは、あの夜の歌声と同じとしか思えないのです」
「仮に、アマンダがあのときの歌声の主だとして、何か問題でもあるのかい?」
「老水夫があの夜、『あれはセイレーン、海の怪物だ』と申しておりました」
「アマンダが怪物? そんな馬鹿な」
「我が国には、『森の事は木こりに
訊け、海の事は水夫に訊け』ということわざがございますね?」
「うん」
「我々は水夫ではありません。海に関する事は、海をよく知る水夫の言葉を信用すべきではないでしょうか?」
「爺の気持ちはわかった。じゃあ、僕の船の船長と最年長の水夫を呼んで、詳しい話を聴いてみよう」
「すでに手配しております」
「さすがは爺、仕事が早いね」
ルーカスは
謁見室で待ってくれていた船長と老水夫に来訪の礼を述べた。
「こちらこそ、美味しいお昼ご飯をご馳走していただきまして、ありがとうございます。先ほど二人で堪能致しました。『すぐに来てほしい』とのご要請でしたので、身支度もそこそこに馳せ参じたため、このとおり私もこの老水夫も礼服ではなくいつもの制服のまままですが……」
「そんな事は気にしなくって良いよ。すぐに来てくれて本当にありがとう。実は君たちに尋ねたいことがあってね……」
ルーカスがセイレーンについて詳しく話を聴きたいと申し出ると、船長は答える。
「はい。私の知っている事なら、なんでもお答えしましょう」
「もちろん、私もです!」
老水夫も力強く
頷いて同意する。まず船長の説明が始まった。
「昔から水夫たちは歌の上手な人魚のことを、
海の怪物と呼んで恐れておりました。もっともこのセイレーン、そもそもは『半人半鳥の姿をしている』と言われていたのですが。本当の姿がどうであれ、このセイレーンは美しい歌声で水夫たちを幻惑して船の難所へと誘い込み、船を難破させてしまうのです。それはあまりに素晴らしい歌声で、誰であろうと
抗うことなどできません。だからセイレーンの歌を聴いた者は、必ず死んでしまうのです……」
「殿下、セイレーンとは誠に恐ろしい怪物ですな!」
侍従長は
慄く。
「ちょっと待って。あの日、僕も爺も船に乗っていた者は全員、あの歌声を聴いた。そうだね? ここにいる船長と水夫も」
一同は頷く。
「だけど誰も死ぬことなく救助されたね?」
一同は再び頷く。
「セイレーンの歌を聴いた者は必ず死んでしまうのだから、あの歌声の主はセイレーンではないよね? だって誰も死んでないよ?」
「なるほど、理屈の上ではそうなりますな」
侍従長が言う。
「実は……」と老水夫が口を開いた。
「
稀に生き残る場合もあるそうです」
「なんと!」
驚愕する侍従長。
「言い伝えでは、『セイレーンの歌声を聞いた人間がもし死なずに生き残ったら、セイレーンのほうが死ぬ』とされています」
「あの歌声を聴いた僕たちは生き残ったわけだから、あの歌声の主がセイレーンだとすれば、彼女はもう死んでいるはずだね?」
ルーカスは老水夫に確認する。
「さよう」
「だったらもう大丈夫だね!」
「はい。何十年も前、私がまだ見習い水夫だった頃に、たくさんの船を難所へと誘い込んでは海の男たちや乗船客を殺し、我々の船をも難破させたあのセイレーンは、もう生きてはいないでしょう」
「そうか……」
「セイレーンは何十年も鳴りを
潜めていたから、私はもう彼女は年老いて死んだのだろうと思っていました。だが、彼女はまだ生きていた。そしてすっかり老いさらばえて自分の死期を悟ったセイレーンは、最後に海難事故を起こして、我々を道連れにしようとしたんでしょうな……」
船長と老水夫が退出すると、ルーカスは侍従長に語りかける。
「爺。アマンダはセイレーンじゃなかったね」
「はい、無礼を申しました。どうかお許しを」
「うん、爺は悪気があってアマンダを疑ったわけじゃないってわかってるよ」
「寛大なお言葉、痛み入ります」
「アマンダがどんなに美しくて愛らしくても、人を殺す怪物なら僕だってイヤだよ」
「殿下が外見だけで人を判断しない若者に成長してくださって、爺は嬉しいですぞ」
「爺の教育の賜物だよ。人を国籍や外見や障害の有無で判断するのではなく、人柄や相性で選べるようになったのは、爺のおかげさ。ありがとう、爺」
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