8月29日

3/11
前へ
/13ページ
次へ
病室に踏み込めないまま立ち尽くしていると、棗の傍に座っていた母親がハンカチで口元を押さえながら立ち上がった。 「凪くん、きてくれたのね。棗も喜ぶわ」 目元は腫れて、顔もやつれている。 母親の言葉ではっとなり、漸く病室へ一歩踏み出せた。 「棗…」 目を伏せたままの彼はピクリとも動かない。 管に繋がれた右手に、そっと触れる。 まだ、暖かい。 「もう、目を覚まさないのよ」 母親は半ば諦めたように言った。 「打ち所がね、悪かったの」 凪はじっと棗を見下ろしていた。 「もうね、何がなんだか分からないの。凪くんみたいな素敵なお友達ができて楽しそうだったから。もう心配いらないって思ってたのに」 徐々に震えていく声に顔を上げると、棗の母親は凪にしがみついて大声で泣いた。 「どうしてこの子がこんな目に遭わなければならないの!?この子が何をしたって言うの!?私じゃ止められなかった!母親なのに!」 泣き崩れていく姿を目にして、凪は思い出した。 あの日、棗はいつも通り笑っていた。 綺麗な瞳を細めて、コロコロ笑っていた。 栗色のふわふわした髪の毛が夕焼けと反射してキラキラしていた。 「じゃあね、凪くん」 そう言って、また明日会えるものだと思っていた。 棗は学校の屋上から飛び降りた。 まだ、ひぐらしが鳴いている季節だった。 夏休みが、終わる頃だった。
/13ページ

最初のコメントを投稿しよう!

2人が本棚に入れています
本棚に追加