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振り返ると、自分の靴を捧げ持って跪いている渋い男がいた。何時だったか軽叔父上と一緒にいた男だ。
「お前、中臣の?」
「はい。中臣鎌足と申します。以後お見知り置きを。」
そう言うと鎌足は靴を静かに下ろした。その時、眩い光――そう何かに光が反射した様な閃光が一瞬辺りに広がった。鎌足と中大兄皇子は咄嗟に眼を閉じる。
「さっきのは一体?」
恐る恐る目を開けると辺りは何事もなかったかの様に静かで長閑である。中大兄皇子が小首を傾げていると、鎌足が素っ頓狂な声を上げて、口をぱくぱくさせた。
「ん?どうした鎌足。」
「人が、ち、宙を、浮いて……。」
目を丸くして泡を吹かんばかりの鎌足の視線を追うと……
『貴様ら何者だ?』
白い着物に長い髪、額を剃った憂い顔の男が、その華奢な体を気持ちのいい青空に浮かせていた。見たこともない格好の不思議な人物を目にして、中大兄皇子は完全に固まってしまっていた。
飛鳥寺での蹴鞠の日から一週間。中大兄皇子は溜息を吐く日々を過ごしていた。原因は背後に朝な夕なにまとわりつく男のせいだ。
『よう、中大兄元気か?』
「最低だよ。誰かさんのせいでな。」
きっと斜め上に顔を上げて睨むと、その男はにやにやと笑って何時も通りに浮いていた。
『おいおい。名前ぐらい覚えろや。俺は織田信長という名がある。』
「信長。私が困ると楽しい?」
『おう。』
そう即答されて彼はまたも溜息を吐く。人気のない回廊にそれは虚しく消えた。
この一週間、信長に突如現れられて、心臓に負担は掛けられ(もう慣れたが)睡眠を妨げられ(未だに慣れない)挙げ句、自分ともう一人の男にしか信長は見えないらしく、それを知らなかった時に人前で彼と会話して変な目で見られたりと災難が続いている。
「信長。お前は死んでいると鎌足が言っていたが。」
『おお。俺は死んどるぞ。』
これまたあっけなく即答。
「さっさと成仏しやがれ。」
こめかみに青筋を立てて、皇子には似合わぬ低い声で吐き捨てる。
『俺は可哀相な死に方をしてな。謀反を起こされ自決したんだが。』
「じゃあ謀反人に取り憑け。」
『それが時を遡った様で、そいつは今は生まれてすらおらん。取り憑けんのだわ。』
「もう一度時を降れ。私には関係ないだろうが!」
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