2 告白

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2 告白

 近頃、目に見えて衰えたかつての戦争王は、息子たちが無益な王位争いを起こすことを避けるため、正妃の長男を王太子とした。にもかかわらず、現在の王宮は、その長男を支持する派と、同腹の次男を支持する派との二派に大きく割れている。  次男を推す側の言い分は、長男はこの国の統治者としての資質に欠けているというものだった。  父たる王とは真逆の性格をしていた長男は、戦争によって領地を広げることよりも、外交によって現状を維持することを望み、妻は正妃一人で満足していた。  それに対し、次男のほうは、まさに若かりし日の王そのままだった。特に体格に恵まれた彼は、話し合いではなく殴り合いで物事を解決することを好み、一応正妃はいたが、少しでも気になる女がいれば、みさかいもなく手を出して、次々と子を産ませていた。  宰相の補佐官である彼は、王の選択は王位継承権の順位上、妥当であろうと考えた。それでもなお、次男派は、今の王に似ているからという理由で次男を推しているのだが、王は昔の自分――それも当時の自分よりかなり劣化した自分――を見せつけられているような心地がするのだろう。はっきり口に出したことはなかったが、王がこの次男を嫌っていることは、王の身近にいる者ならば、誰でも知っていることだった。  あの次男なら、周囲にいいようにおだてられて、兄の暗殺を本気で企てようとするかもしれない。しかし、万が一それが成功したとして、王は新たな後継者に次男をすえるだろうか。  だが、長男と次男、どちらが王になろうがなるまいが、彼にはどうでもいいことだった。誰が王になろうが、この国もいつかは滅びる。 「セト。そろそろ私も、おまえを次期宰相に指名したいんだが」  王よりも高齢な宰相は、彼以外誰も執務室にいないのを見計らって、こっそりそう打診してきた。 「せっかくのお話ですが、謹んでご辞退申し上げます」  仕事の手を休めることなく、にこやかに彼は回答した。 「どうしてだ、セト。老いぼれは疲れた。もう休みたい」 「今、休んでいらっしゃるでしょう」 「そう言われると返す言葉もないが。まだ陛下がご健在のうちに、指名だけでもしておきたいのだよ」 「宰相様。そうなさりたいお気持ちはよくわかりますが、それが私にとっては迷惑このうえないことなのです。下手に指名などされてしまっては、うろんな輩に目をつけられてしまうではないですか。少しでも私の身を案じてくださるのなら、宰相の指名は次期国王が正式に即位してからになさってください」    宰相は大仰に目を剥いた。 「セト、おまえはこの年寄りに、それまで宰相でいろと言うのか!」 「もちろんです。そのために私が今、宰相様を休ませてさしあげているのではないですか。私は今の補佐官という立場を非常に気に入っております。宰相様を前にして申し上げるのも何ですが、正直、私は宰相になりたいとは砂粒ほども思ってはいないのですよ。どうかこの国と私めの安寧のために、一日でも長く宰相をお続けになってください」  話しながらも仕事をこなしつづける秀麗な男を、宰相はあっけにとられたように見つめていたが、急に真顔になって口を開いた。 「セト……私の末の孫娘の……」 「その縁談のお話でしたら、これまで二十三回お断りいたしました。今ので二十四回目です」 「……まだ、あの白子の王子の侍女が忘れられんのか。見かけによらず……と言っては何だが、おまえも一途な男だな。それほどいい女だったのか?」 「ええ、まあ」  何しろ、最初から自分の歪んだ下心を見抜いていた女でしたから、とはさすがに彼も言えなかった。    *  その離宮は、誰からも忘れ去られたかのようにそこにあった。 「お加減はいかがですか?」  入口を覆う垂絹をかきわけて彼がいつもの挨拶をすると、寝台に横たわっていた王子は上半身を起こし、恨めしそうな赤い目を彼に向けた。 「ちょっと熱があるくらいで、一日寝ていろなんて大げさだ。私は大丈夫だと言っているのに。おまけに、おまえがなかなか来ないものだから、退屈でたまらなかった」 「……これがちょっとですか」  王子の額に手を置いた彼は呆れて言った。すぐに離そうとしたが、王子ははにかむように笑って彼の手をつかんだ。  自分のことを〝私〟と言い、彼のことも〝おまえ〟などと呼ぶようになったが、後宮にいた頃よりも子供っぽい甘え方をし、やたらと彼に触りたがる。嬉しい反面、悩ましい。  八年前、療養のため――実質は周囲に病をうつさないようにするため――この離宮に王子を住まわせることを彼が進言した。他にも離宮はいくつもあったが、彼があえてここを選んだのは、王宮から最も遠く離れた場所にあったからだった。  〝療養のため〟とは建前のようなものだったが、実際、移して大正解だった。見違えるほど血色がよくなり、肌を布で覆っていれば、日中でも外を出歩けるようになった。  瞳と唇以外に色を持たずに生まれてきた王子にとって、この国の強い日差しは大敵なのだ。とはいえ、生来の虚弱はいかんともしがたく、少しでも無理をすると寝こんでしまうのは相変わらずだったが。  だが、この離宮に移ってから約半年後。  例の〝ねえや〟が、崖から身を投げて死んだ。  嘆き悲しむ王子を抱きしめながら、彼は口だけは同情したように言ったものだ。  ――あなたをこんなに悲しませるなんて、いけない人ですね。  その原因を作ったのはまぎれもなく彼だったが、それを知っているのは、彼の他には死んだあの女だけだった。  王子がこの離宮で暮らすようになってから、彼は裏からあらゆる援助を行っていた。金銭面ではもちろんのこと、信頼のおける使用人や料理人を置き、有能な医師の他に教師も何人かつけた。  王子を王にする気はさらさらなかったが、最低限度の教養は身につけさせてやりたいと思ったのだ。それに、以前から感じてはいたが、王子は勘のいい子供だった。視力はやや悪いものの、教えられたことはすぐに覚えたし、時々彼を驚かせるような鋭敏さを見せた。  しかし、何より彼を喜ばせたのは、王子の体の成長ぶりだった。身長は彼の胸の高さほどまで伸び、体を動かすことが増えたせいか、骨の目立った手足にも適度な筋肉がついてきた。純白の髪は短いほうが似合うと彼が言ったため、襟足までで切りそろえられている。今の王子の姿は、まさに彼の理想どおりだった。 「セト」  ふと、その王子が笑みを消して彼の名を口にした。 「何でしょう?」 「おまえは……結婚はしないのか?」  予想外の問いだった。思わず王子を見つめ返すと、王子は逃れるように顔をそむけてしまった。 「はあ……今のところ、その予定はございませんが」  たぶん、この先もずっとすることはないのだろうが、とりあえずそう答えておいた。 「では、いつかはするのか?」  ――いったいこの王子はどんな答えを望んでいるのだろう?  彼は困惑したが、この点に関して嘘をつく必要は感じなかった。 「おそらく、私は一生独り身でいるかと思います。特に不自由はございませんので」 「ねえやが死んだからではないのか?」 「いいえ。そんなことはありません。彼女のことは関係ありません」 「では、もしも、私が女で――」  そう言う声はか細く、体全体が小刻みに震えていた。 「おまえと、結婚したいと言っていたら……おまえは、どう答えていた?」  まったく、この王子にはいつも意表を突かれてしまう。彼がひそかに悩んでいたことを、いともたやすく解決されてしまった。 「女でなくとも、かまいませんよ」  耳許でそう囁くと、王子はようやく顔を上げた。羞恥心からか、白い顔は紅潮しており、赤い瞳にはうっすら涙まで浮かんでいた。 「私は今のままの殿下で、まったくかまいません」  少し混乱した様子で王子は首をかしげた。その隙に、王子につかまれていた手を引き抜き、逆に王子の白すぎる右手を捧げ持つ。 「恐れながら私めは、初めてお会いしたあの日から、ずっとあなたを思いつづけてまいりました。しかし、それを告げるには、あなたはあまりにも幼すぎた。私は待つことにしたのです。あなたが充分に成長するまで」  それがまさか、王子のほうから求婚されることになろうとは。  王子は放心したように彼を見つめていた。その表情に小気味よいものを感じながら、彼は王子の右手に恭しく口づけた。王子の細い肩がぴくりと震える。だが、彼を振り払いはしなかった。 「殿下は私に、あなたと結婚するかとお訊きになりましたね? もちろんしたいと私は答えます。しかし、残念ながらこの国の法はそれを許しません。ですから、私はあなたに結婚してほしいとは言えない。それでも、私はあなたを愛しています。あなただけを、永遠に」  この言葉を口にできるまで、九年かかった。彼にとっては一瞬ともいえる時間だったが、それでも長かったと思う。  この白子の王子を手に入れたいと思ったその日から、彼は細心の注意を払って王子を保護し、彼のことしか目に入らないように仕向けた。そのかいあって、あの青い果実は奇跡的に無傷のまま生長して熟し、今まさに自ら彼の手のうちに落ちようとしている。  ほうと王子は溜め息をついた。そういえば、体調が悪くて寝ていたのだった。どうせ今夜は何もできまい。そう思って、王子から手を離そうとすると、逃すまいとするように握り返された。 「殿下?」 「おまえは、ずるい」  赤い顔で、すねたように唇をとがらせる。 「そんなこと、今までちっとも言わなかった」 「それはまあ……あなたが子供だったから」  今でも王子は大人とは言えない。ただ、これ以上待つのは彼にも辛かったのだ。もうこんなにも美しく育っているのに。 「どうして、私なんだ?」  信じられないというように、王子は白い髪を揺らした。 「こんな体に生まれて、外もまともに歩けない。王子といっても名ばかりだ。そんな私を、なぜおまえのような男が?」 「私にもわかりません」  我知らず苦笑が漏れる。本当に、彼自身わからないのだ。 「ですが、私はあなたに会ったとき、あなたしかいないと思ったのです。理由はありません。他の誰でもなく、あなただけが欲しいと思いました。この髪も、肌も、瞳も、唇も」  王子はさらに赤くなって、身も世もなくうろたえた。今までこんなことを言われたことがないのだ。彼もあえて言わなかった。王子に警戒されたくなかったから。 「ですから、もうお休みください。これ以上悪化させないように」  しかし、王子はいっこうに彼の手を離そうとしない。何がそれほど不安なのか。 「あなたが眠るまで、ここにおりますから」  彼は苦笑いすると、少しばかり強引に王子の上体を横にさせた。そうではないのだと言いたげに王子は不満そうな表情をしたが、彼はそれを無視して首まで掛布を引き上げてやった。 「私はもう子供ではないぞ」 「お体が弱いのとは関係ありません」 「おまえが考えているほど弱くはない」 「こんなに熱があってもですか?」 「これは……」  王子は口ごもって、彼から目をそらせた。 「おまえが今、私のそばにいるから……」  本当にこの王子にはかなわない。彼を翻弄することにかけては天賦の才を持っている。 「では、私は帰ったほうがいいですね」 「おまえは本当に私を愛しているのか?」 「それはもう、どうしようもなく」 「だったら、証拠を見せろ」 「証拠……ですか」  熱のせいだけでなく赤い顔をしている王子を彼は当惑して見下ろしていたが、ふいににやりと笑って顔を近づけた。反射的に王子が目をつぶる。それを確認してから、王子の熱い額に静かに口づけた。 「この熱が下がりましたら、確かな証拠をお見せいたします。ですから、今はどうかゆっくりお休みください」  王子は拍子抜けしたように目を開いた。が、すぐに不服そうに唇をとがらせ、先ほど彼が離した自分の白い手を、また彼のほうに突き出した。 「なら、私が眠るまで、この手を離すな」 「はい。承知いたしました」  彼は笑うと、両手で包みこむようにして王子の手を握った。やがて、王子が安らかな寝息を立てるまで、彼は決してその手を離さなかった。    * 「熱が下がったら、確かな証拠を見せると言っていたが、いったい何を見せてくれるんだ?」  ようやく熱が下がったとたん、王子は寝台の中で挑むように彼に言った。記憶力がいいのも考えものだ。いっそ熱で忘れてくれていたらよかったのに。 「指輪は……駄目なのでしたね。皮膚がかぶれてしまうから」 「そんなもの、証拠にはならない」  体は回復したが、王子の機嫌のほうはなぜかよろしくない。彼は溜め息をついてから、王子の白い頬にそっと手を添えた。 「いったい何をそんなに怒っていらっしゃるんですか?」 「別に、怒ってなんか……」  そう言い返す王子の目は、彼の顔を見ていない。 「私は確かにあなたを愛していますよ。お望みなら、この胸から心臓を引き出して、あなたにお見せしたいくらい」  これには王子はぎょっとしたような顔になって彼を見上げた。 「でもそんなもの、見せられたあなたのほうが迷惑でしょう?」 「というより、死ぬだろう、そんなことをしたら」 「どうでしょう。もしかしたら死なないかもしれませんよ。何なら試してみましょうか?」  彼はにっこり笑うと、王子から手を離して、自分の胸にあてがおうとした。 「セト! やめてくれ! そんな証拠なんて私はいらないから!」  血相を変えて腕を引っ張った王子に、今度は彼はからかうような笑顔を向けた。 「まさか、本気にしたんですか?」 「冗談には見えなかった」  本当に勘のいい子供だと思いつつ、彼は王子に顔を近づけた。 「見ようと思えば見られますが、見ないほうがよろしいかと」  彼の謎かけのような言葉に、王子は不可解そうに首をかしげた。 「何を?」 「おまけに、確かな証拠とも言いかねますが、今はこれでご容赦ください」  意味がわからず、まだ白い眉をひそめている王子の赤い唇を、彼は己のそれで塞いだ。一瞬、王子は赤い瞳を見開いたが、すぐに瞼を閉じて、彼の首に腕を回した。 「これで信じていただけますか?」  長い沈黙の後、彼が問うと、王子は真っ赤な顔をして、黙ってうなずいた。
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