1 白子の王子

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1 白子の王子

 一目見て、これだと思った。  黒髪黒目が当たり前のこの国で、白髪赤目に生まれついてしまった病弱な五歳の子供。大きすぎる寝台に埋もれるように横たわっていた。  王の二十一番目の王子。生母はあまたいる側妻の一人で下級貴族の娘。王子を産んですぐに死んだ。娘の血縁者もほとんど亡くなっており、この後宮以外に王子の居場所はない。王位などまず巡ってこない。まさに理想的。  彼を王子と引き合わせた上司は、十歳になる前には死ぬだろうと事前に彼に告げた。  それでは困る。  自分を受け入れられる年齢になるまでは、何としてでも育ってもらわなければ。  王子の部屋を辞去した後、彼は心の中でほくそ笑んだ。  さあ、どうやって手に入れよう?    *  後宮にいる王子を見舞いと称して訪ねることは、高官の一人である彼にとって、さほど難しいことではなかった。病弱で有力な後ろ盾もない白子の王子に関わろうとする者は、わずかな数の召使を除けば、彼くらいのものだったからである。だが、その召使たちの中に、彼と匹敵するくらい王子に愛情を傾けている女がいた。  義務的に働いているだけの他の者たちとはまったく違い、献身的に王子の面倒を見ていたこの女は、王子には〝ねえや〟と呼ばれていたが、もともとは王子の母親の侍女であり、乳姉妹でもあったという。他の王子・王女よりも明らかに狭くみすぼらしい一室を与えられていても、何とか王子が命を落とさずに済んでいたのは、ひとえにこの女の尽力によるものだったかもしれない。  女はとりたてて美人ではなかったが、厄介なことに勘がよかった。高価な品を持参して王子を見舞う彼に、この女だけが最初から不審の目を向けていた。彼が部屋にいる間は、決して王子のそばを離れようとしない。彼は女が邪魔で仕方なかったが、席を外せと言うための適当な理由が見つからなかった。  しかし、彼も女も絶対に王子を死なせたくないと思っていた。その意味で彼らは同志でもあったのである。  その一環として、彼は王室専属の医師たちの中に自分の息のかかった名医を潜りこませ、王子が体調を崩したときには、必ずその医師が王子を診られるようひそかに手を回した。  その医師によると、それまでここの医師たちはこの白子の王子に対しておざなりな診察しかしてこなかったという。一応王子には違いないから呼ばれれば行くものの、生来病弱なうえ王位継承権もないに等しい王子の診察など、時間の無駄としか思えなかったのだろう。  今までになく親身に王子を診るこの医師に、あの女は彼の影を感じとったはずだ。が、賢明な女はこの医師を拒むことはしなかった。  事実上の侍医がついてからは、王子は一年前よりは確実に寝こむ回数も減り、程度も軽くなってきている。  そんなわけで、彼は終始一貫、自分の息子といってもおかしくない年齢の王子のことしか眼中になかったのだが、他人の目には違うように映っていたことを知らされたのは、皮肉なことに他ならぬ幼い思い人からだった。 「ねえや。お願いだから、少しの間だけ、セトと二人きりにして」  その日、またしても寝ついた白子の王子を彼が見舞うと、王子自らあの女にそう言った。 「若様……」  無論、女は不服そうな顔をしたが、まだ六歳の可愛い王子の願いならどんなことでも叶えないわけにはいかない。〝敵〟ながら彼にはその気持ちは痛いほどよくわかった。  結局、女は渋々退室し、彼はこのとき初めてこの王子と完全に二人きりになることができたのだった。 「いかがなさいました?」  自然と顔がほころんでしまうのをどうにかごまかして彼が穏やかに訊ねると、先ほどから寝台の中で落ち着かない様子だった王子は上目使いで彼を見た。澄んだ紅玉のような瞳。くりぬいて舐めたら甘いだろうか。 「あの……」  目の前の男がそんな不穏なことを考えているとは夢にも知らないだろう王子は、いかにも言いにくそうに舌足らずな声で話し出した。 「あなたがここに来てくれるのは、僕のお見舞いじゃなくて……その……ねえやに会いたいからだって、みんなが……」  それを聞いたとき、彼は王宮の人間とはそういう物の見方をするものなのかと驚くより感心した。まったく彼には思いもよらない発想だった。  おそらく、彼らにはそれ以外に彼がこの病弱な白子の王子を見舞う理由を思いつけなかったのだろう。真の理由に気づいているのは、たぶん、その〝ねえや〟――つまり、あの女だけだ。  ところが、周囲はその女目当てだと言うのである。当人同士はお互いを目障りに思っているというのに。  ――さて、どうする?  愛しい本命は不安そうに彼を見上げている。〝ねえや〟をとられたくないと思っているのか。それとも自分を心配して見舞っていたわけではないのかと失望しているのか。その表情を見ただけでは彼にはわからなかった。  本心を明かすなら、彼はもちろん〝ねえや〟など関係なく純粋に――その動機は不純だらけだったが――王子の見舞いに来ていたのである。今そう言えば、きっと王子は安心して、彼の大好きなあの恥じらうような笑顔を見せてくれるだろう。  だが、その一方で、この機会にあの女と結婚してしまうのもいい手だと彼は考えた。地位も才能もあり、容姿にも恵まれていた彼は、各方面から頻繁に縁談を持ちかけられていて、内心閉口しきっていた。あの女は賢いから、王子の保護を条件に出せば、否とは言わないだろう。案外よき妻をうまく演じてくれるかもしれない。しかし、それでは。  ――もしあの女を妻にしたら、この少年はもう二度と、自分に心を開いてくれないのではないか。  その想像は何より彼の胸をしめつけた。 「そんなことはありません」  彼がそう答えたのは、王子が恥ずかしそうにうつむいた直後だった。 「私は本当に、殿下のことだけが心配でここにいるのです。それ以外には何もありません。さあ、余計なことはお考えにならずに、一日も早く元気になられてください。それが私めのいちばんの願いなのですから」  それは彼の掛け値なしの本音だった。多分に下心はあったが、彼は心の底から王子が健康になることを願っていた。  世の中には幼い子供にしか欲情しない者もいるが、彼はそうではなかった。今の王子には何をしても暴力にしかならない。  彼には時間だけは豊富にあった。気がかりは王子が自分の理想どおりに育ってくれるか、それだけだった。  そもそもこの見舞いも病弱だから自然とこの王子への回数ばかり増えることになったが(そして、とんでもない誤解をされることになったが)、他の王子・王女のところへも知らせが入れば行くようにしているのだ。  ただし、その見舞いの言葉には、この王子に対するときとは違い、心はまったくこもっていなかった。だが、それでも充分通用した。彼が本気で述べれば、その効果ははかりしれない。  王子の白い顔がぱっと赤くなった。安堵。歓喜。彼にはそう見えた。  仕方がない。傀儡(かいらい)の女は他で見つけよう。この王子にはもう少し〝ねえや〟が必要だ。適当な時期に引き離すつもりではいるが。 「では、そろそろ失礼させていただきます」  あまり長居をしないというのもコツだ。飽きられる前に去る。そうすれば、何度来ても喜んでもらえる。  毎度の見舞いの品もすでにあの女に渡してある。王子は少し名残惜しそうな顔をしながらも、笑顔で彼を見送ってくれるはずだった。  彼を最初に惹きつけたのはその容貌だったが、王子は性格も素直で聞き分けがよく、とても愛らしかった。普通なら、もう教師がついて様々な教育を施されている年頃だが、病弱な白子の身では、それは望んでもかなわないことなのかもしれなかった。  王宮内でも王宮外でも、異形の子供は人知れず始末されるのが常だ。産まれた直後に殺されなかっただけ、この王子はましなのだ。  しかし、彼の愛する幸運な子供は、なぜか今日は表情を曇らせて、何か物言いたげに彼を見た。 「どうされました?」  ――やはり、まだ不安なのか?  いっそ正直に自分の気持ちを明かしてしまおうかと彼がちらりと考えたとき、王子はふと顔をそむけた。 「……お見舞いのときにしか来ない」 「は?」  不覚にも彼には意味がつかめなかった。見舞いに来ているのだ。当然のことだろう。 「僕がたまに元気で動けるときには、一度も来たことがない……」  そこで彼はようやく王子が何を言いたいのかを察した。が、それはつまり―― 「あまり私めがお邪魔しては、ご迷惑なのでは?」  ついにやけてしまうのをこらえるのに、彼はかなりの苦労を強いられた。  王子は小さな顔を横に振ると、まったく思いもかけなかったことに、その小さな両腕を思いきり伸ばして、彼の首にしがみついてきた。  初めて直接触れた王子の体は、熱のせいか、溶け出してしまいそうなほど熱かった。  無意識に抱きしめ返す。小さくて頼りない、人形のような体。 「ごめんなさい……」  彼の首筋に向かって子供は囁いた。熱い息が吹きかかる。  ぞくりとした。待てる自信がぐらついた。 「何を謝られるのです?」  それでも、口だけは冷静にそう返していた。 「だって……あなたがねえやと結婚してくれたら……僕が病気のときじゃなくても会えるって……そう思ってしまった……」  さすがの彼も、このときばかりは何と答えたらいいものか考えこんでしまった。  やはり、人の心のうちはわからない。こんな小さな子供が、ある意味、自分以上に打算的なことを考えていたとは。  だが、彼はそれを自分と同じ感情からだとは考えなかった。  この王子の母はすでに亡いが、父たる王は健在である。しかし、この王は王子が白子であると知った直後から、その存在をなきものとして扱っていた。  母親代わりの女はいる。だが、父親代わりになるような大人の男が、これまでこの王子のそばにはいなかった。  だから、彼に母親たるねえやと結婚してもらいたいと考える。それで、王子の望む〝両親〟が完成する。  しかし、王子の望むことなら何でも叶えてやりたいと思っている彼であっても、父親と思われることだけは、どうしても承服しかねた。彼が望むのは恋人としての自分だけだ。仮に父親となっても一線は越えられるが、そのときこの王子は彼をどう思うだろうか。 「殿下さえご迷惑でなければ、いつでもお伺いいたしますよ」  父親になることを拒否するかわりに、彼はそう答えた。 「本当?」  王子が顔を上げて彼を見つめた。涙ぐんだ赤い瞳がすぐ目の前にある。  近くで見ると、当然のことながら眉も睫も白い。成長したらあの繁みも白いのだろうかと下世話なことを考えながら、彼は大きな手で王子の顔をそっと包みこんだ。 「ええ。お約束いたします。ですから、殿下はくれぐれもご無理はなさいませんように。私も元気な殿下にお会いしたいのです」 「うん。わかった」  王子は満面に笑みを浮かべると、ようやく彼を解放した。  ――王子でさえなかったら、とうの昔に自分の屋敷へと連れ帰って、昼も夜も思いのままに愛せたものを。  ここを去るとき、彼はいつも口惜しく思う。  あの白子の王子が王になることは、万に一つもないだろう。それなら王女たちが臣下の妻となるように、自分に下賜してくれてもかまわないのではないか。 「何を考えていらっしゃるのです?」  帰り際、とうとう最後まで呼び戻されなかった女が無表情に言った。 「おそらく、あなたのご想像どおりのことを」  慇懃に彼は答えた。 「若様を悲しませるような真似は、何があっても許しませんから」  それは一介の侍女にあるまじき発言だったが、彼は咎めはしなかった。結婚はごめんだが、こういう女は嫌いではない。 「私も同感です」  彼は笑顔で応じ、その場を後にした。
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