幼馴染

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昔、なんとなく人々の関係性を、実家の庭に昔から植えてある真っ赤な椿の木に例えて話をしたことがあった。 俺たちはみんな男と女、どちらかとして産まれてくる。違いが何かと言えば単純な話、男が妊娠させられ女は妊娠できる、だろうか。 赤く花を咲かせる椿の右側と左側を指を指し「花が俺たち人間だ」と言うと、コクリと頷くアイツ。 男女どちらかとして産まれた後は、さらにアルファ、オメガ、ベータという3つの性へと分かれるのだ。 どっしりとした幹から枝分かれしていき、ベータへと続く枝は1番太く多くの葉を茂らせ、溢れんばかりの花を咲かす。つまり大多数の男女がベータの性を持つ。 だがアルファとオメガの花をつける枝はどちらの枝も細く、椿もベータに比べると頼りない程に少ない。 人口の少数派、希少な性なのだ。そこまではアルファもオメガも同じ。 ただアルファが葉をつけるのは木の天辺。 太陽の光を誰よりも浴びて下の葉から羨ましがられる場所に花をつけるのだ。 咲かせる花も大きく煌びやか。生まれながらに持った最良な遺伝子は、ほとんどのアルファがエリートとして、人々の中心となるほどのもの。犯罪行為でも侵さない限り将来必ず羨望を受けるような立場へと就くことが約束される。 では残るオメガはどこにいるのか? オメガが枝を伸ばすのはアルファの下、さらに多くの葉を広げるベータのさらに下。いつ手折(たお)られてもおかしくないような場所へ葉を付ける。 アルファよりも数が少なく、男女ともに妊娠が可能だとされるオメガは、子孫繁栄の為だけの性としての認識が強く、社会的地位も低い。 「オメガは可哀想」 人々はそう口にする。特に男性オメガは男性であるのにも関わらず妊娠が可能な為に、自己の存在意義に戸惑い失望し、自ら命を絶つ者も少なくないという。 ーーーだけど。 だけど、と俺は思う。
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