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線路の見えるドラッグストア
プロローグ
「フーッ!」
桔梗 友和は猫の額ほどのベランダで、思い切りたばこの煙を吐き出す。
いつのまにか、すがすがしい青葉の季節がおとずれている。つい最近、満開の桜を見たばかりの様な気がするのに。
大通りに面したワンルームの賃貸マンションの三階から見下ろすと、すぐ下を走る車の喧噪が。でも、今日だけは慌ただしいはずの朝の生活音も、潮騒のようにやさしく感じられた。
今日は水曜日だ。それにしても、平日と週末では流れる時間や空気が、こんなにも違うものなのだろうか。
最近では、集合住宅でのベランダの喫煙でさえ、隣家からクレームが来るそうだ。その点、桔梗の所は角部屋の上に、隣室は空き室になっているから気楽だ。
「命の洗濯……と」
それでなくても、一日中、客の対応をしなければならない仕事なので、こんな風に誰の目も気にせずにいられることに、無上の幸せを感じる。
薬科大を卒業し、薬剤師になって一年。桔梗の職場は、ここから歩いて十分ほどの駅の近くにあるドラッグストアだ。
店の周りは学校や銀行、病院などの公共施設なので、平日の方が忙しい。だから、平日に有給が取れたのは、勤め始めてから今日が初めてだった。
そんな桔梗が、ポンポンと煙のドーナツを作ったりして、おもいっきり休日の朝を満喫していた時のことだ。
――窓、閉めてよっ。隣に、聞こえるかもしれないだろっ――
(え?)
桔梗は、自分の耳を疑った。
聞こえてくる声は若い男の声で、間違いなく隣室からだ。
(空き室のはずなのに……)
いつの間に、引っ越して来てたのか知らないが、隣には二人の男が住んでいた。いや、友人か兄弟でも、遊びに来ていたのかもしれない。
ベランダを遮る仕切りから身を乗り出すようにして、隣をのぞき込んだ。Tシャツやデニム、下着など、男性のものらしい洗濯物が干してある。
(空き室じゃなかったんだ)
「隣って、『桔梗』って言ったっけ。仕事で、家にいるのは土曜と日曜だけなんだろ。気にすることないさ」
追いかけるように聞こえてきたのは、別の男の声だ。そしてその男は、桔梗にとって思いがけない言葉を放った。
(なんで、自分の生活サイクルまで知ってるんだ……)
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