582人が本棚に入れています
本棚に追加
゜・*:.。..。.:*・゜゜・*:.。..。
結婚式終了後。
私たちは式場近くのホテルに宿泊を予定していた。
私は記憶がない。
交通事故に遭い、天涯孤独になったのだが、寂しさを感じられない。人間関係のほとんどを忘れてしまっている。
今まで誰かと暮らして生きてきたという記憶がない。
つまり、今まで誰と付き合い、恋に落ち
あるいはキスやそれ以上の関係があったかすら覚えていない。
どうやら恋愛していたらしいし苦悩もあったようだ。そして恋の上書きもした。鳴海航先輩のことを好きなのだと思う。だから、覚えていなくてもこんなにも胸が苦しい。
でも。私は。
私は恋を忘れて嫁いでいく。
ホテルは格調高かった。
美しいロビー
赤い絨毯
広い階段の隅には、たくさんの花が飾られていた。
静かに流れる室内楽
巨大な窓の向こうには
人工的といえども森と小川が煌めいている。
私は灘湊一郎さんが宿泊手続きをしている後ろ姿を見つめ
ピアノと大きな花瓶の間に立っていた。
やがて振り返る灘さんのかすかな笑み。
切なさを宿していた。
「彩綾」
甘やかしてくれる、低く緩やかな
弦楽器みたいな声。
「おいで」
その声が“本当に良いのかい?”と尋ねていた。
“君はあの男を忘れられるのかい?”
“君は彼が好きなんじゃないのかい?”
もっと早く。
結婚式より早く。
迎えにきてくれたら違っていた。
たぶん、違っていた。
しかし鳴海航さんは。
結婚式当日に
しかも宣誓の現場で私を攫おうとした。
最初のコメントを投稿しよう!