3 宿屋の息子と元傭兵

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3 宿屋の息子と元傭兵

 おざなりに朝食を済ませると、ウィングエンはすぐに出立の準備を始めた。 (何もそんなに急がなくても)  いつものことながら、リダルは呆れて笑ってしまう。  ウィングエンのラリオン帝国嫌いは徹底している。目的地の第一条件は、ラリオン帝国と無関係であることにしているくらいだ。  しかし、ウィングエンいわく、〝俺の行く先行く先、陣地にしやがる〟ため――併合も同盟も、彼にとっては同じことらしい――この二年の間に、次の目的地を決める難易度はずいぶん上がってしまった。本当にラリオン帝国がウィングエンの行く先々を支配下に置いているのであれば、ファイス帝国の支配圏内にだけは入るわけにはいかないからだ。  そんなウィングエンとリダルが出会ったとき、リダルは今いる宿屋より少しだけ上等な宿屋の次男で、ウィングエンはその宿屋の客だった。  そのときにはもう今のウィングエンになってしまっていたが、それでも若い頃は相当な男前だったんだろうと推測できるものは残されていて、まさか隊商の護衛で路銀を稼いでいる剣士だとは思わなかった。 「今度はどちらに行かれるんですか?」  給仕の合間に訊ねてみると、ウィングエンは太い眉をひそめて唸った。 「なあ、おまえ」 「リダルです」 「ああ、ならリダル。おまえ、〝世界の果て〟ってどこだと思う?」  一瞬、息が止まった。  いや、もしかしたら心臓も一緒に止まっていたかもしれない。 「世界の果て……とりあえず、大陸の端っこですか?」  必死でリダルは平静を装った。得意分野だった。そのかいあってか、ウィングエンは軽く噴き出した。 「そうだよな。普通はそう思うよな。でも、その先には海があるから、〝世界の果て〟じゃないそうだ」 「それはそうかもしれませんが……もしかして、その〝世界の果て〟を探してウィンさんは旅してるんですか?」 「ああ、そうだ。〝世界の果て〟で待たなきゃならん。〝命令〟だからな」 「命令……」 「時々、自分でも馬鹿だと思うが、この馬鹿をやめたら、自分が自分じゃなくなっちまいそうな気がする。今の俺にはもう、そっちのほうが重要なんだ」  感慨深くウィングエンは言うと、ふいにおどけたように笑ってリダルを見た。 「リダル。おっさんからの忠告だ。かないそうもない夢は最初から見るな。〝いつか〟なんて言ってたら、あっというまに年だけ食っちまうぜ。俺みたいにな」  ウィングエンは昼の間は商人ギルドに護衛の仕事を探しに行っていた。やっぱり年取ると採用率悪くなるよなあ、などとぼやいていたが、それよりも目的地を選り好みしていたせいかもしれない。 「まだ次の仕事は見つからないんですか?」  ある夕飯時、ある思惑を秘めてリダルはウィングエンに声をかけた。 「ああ、残念ながら」  ウィングエンは苦く笑ってパンをかじる。 「おかげで、酒も頼めない」 「もしよかったら、仕事、紹介しましょうか?」  リダルがそう切り出すと、ウィングエンは意外そうな顔をした。 「おまえがか?」 「はい。俺がよく知ってる人間が旅に出たがってるんですが、一人じゃ不安なんで護衛を雇いたいそうなんです。商人じゃないですけど、行き先は特に決めてないそうですから、ウィンさんには都合がいいんじゃないかと」 「それは確かに都合がいいが……都合がよすぎるな」  さすが〝おっさん〟。うまい話はまず疑う。 「おまえがよく知ってる人間っていったい誰だ? 友達か?」 「友達以上ですよ」  リダルは嘆息して、早々に降参した。 「俺です」 「……何?」 「俺も〝世界の果て〟を見てみたくなったんです。宿代と食事代は俺が出しますから、ウィンさん、護衛してください」  ウィングエンはなかなか首を縦に振らなかった。自分は次男だからこの宿屋を継ぐ必要はない、貯えもいくらかあるし、料理ができるからそれで路銀も稼げると言いつのると、そういう問題ではなく、若いおまえに〝人生の無駄遣い〟はさせたくないのだと返されてしまった。 「でも、今ここで旅に出なかったら、俺は一生後悔すると思います」  リダルは琥珀色の瞳でウィングエンを見すえた。ウィングエンは渋面を崩すことなくその視線を受け止めていた。が、ふと大きく息を吐くと、根負けしたように苦笑いした。 「おめでとう。これでおまえも晴れて馬鹿の仲間入りだ」  今の外見はともかく、中身は真面目なウィングエンは、出立前にリダルの父や兄夫婦に挨拶し、必ずここに無事に帰らせますからと、リダルにとっては興醒めなことを言った。  だが、ウィングエンには申し訳ないが、彼らはリダルが宿屋を出た瞬間に、リダルの存在を忘れてしまっただろう。  いや、もともと彼らにリダルなどという家族はいなかったのだ。ウィングエンがあの宿屋に宿泊したから、いることになった。  予想以上に時間がかかってしまった。  〝ラリオン王国〟を魔術とは無縁な〝ラリオン帝国〟に作り変え、遠距離からでも完璧に傀儡(くぐつ)の術を使えるようになるまで。  今なら自分がそばにいなくても、いつでも好きなように〝あの男〟を動かせる。適当な時期に死なせるつもりでいるが、その方法はすでに決めている。自分で自分の首を剣で切り落とすのだ。そのときには必ず正気に戻してやろうと思う。  それより、もっかの問題は、いつウィングエンに自分の正体を明かすかである。  リダルとしてウィングエンと再会する前から、常に彼の居場所は把握していた。彼を守るためだけに、その時々の居場所をラリオン帝国の支配下に置いていたのだが、それは彼には逆効果だったと、共に旅するようになってから知った。今さら方針転換するのも何なので、あえてそのまま続けているが。  きっとウィングエンは、今でも自分が〝あの男〟に苦しめられていると思っているのだろう。このままリダルとして旅を続けるのも悪くないが、ウィングエンのためにも自分のためにも、そろそろ〝世界の果て〟にたどりつきたいと考えている。  ここで人生を終えたいと思えるような地を〝世界の果て〟にしたいのだが――今のところ、まだ巡りあえていない。 「ウィンさん。ここを出るのはいいですけど、次の行き先はもう決めてあるんですか?」  ウィングエンが荷造りを終えたところを見はからってリダルがそう訊ねると、ウィングエンは「行き先か……」と呟いて天井を見上げた。案の定、まだ決めていなかったようだ。  今のウィングエンは、〝ウィン〟を自分の本名ということにしている。かつてはもっぱらそう呼んでいたが、実は〝ウィングエン〟のほうが好きだ。ついうっかりそう呼んでしまいそうになったことも何度かある。 「それならウィンさん。今度は海辺の街に行ってみませんか? 俺、まだ一度も海を見たことがないんです」  ふと思いついて提案すると、ウィングエンはひどく驚いたように目を見張った。 「何だ。おまえ、海見たことなかったのか?」 「ないです。一度見てみたいとは思ってたんですけど」 「それならそうと早く言えよ。〝世界の果て〟よりそっちが先だろうが」 「そうですか?」 「そうだよ」  少し怒ったようにウィングエンは言い、荷物を持って立ち上がる。 「世の中にはいくら見に行きたくても行けない人間がいくらでもいるんだ。その気になればいくらでも見られるおまえが見なくてどうする」  今の容貌は目くらましによる見せかけだ。  次の目的地に着いて一緒に海を眺めたら、この目くらましを解いて言ってみようか。  ――ウィングエン、ここが〝世界の果て〟だ。ここより先に〝果て〟はない。……私を待ってくれてありがとう。   ―了―
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