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1 雇い主と護衛
「ここも〝世界の果て〟じゃなかったか」
同じ宿屋の客たちから、近々この小国がラリオン帝国と同盟を結ぶらしいとの噂を聞いたウィングエンは、少々堅めのパンを片手に深い溜め息を吐き出した。
無造作に一つに束ねられた長い黒髪やもう少しで無精ではなくなりそうな髭には白いものが交じりはじめているが、身ぎれいにすれば確実に実年齢より若く見えるだろう。しかし、本人いわく〝若作り〟する気はさらさらない。
「またそれですか。それほどラリオンが嫌なら西に行けばいいんですよ。どうして南下するんですか」
褐色の髪をごく普通に短く切りそろえているリダルは、そんなウィングエンの向かいの席で、そばかすだらけの凡庸な顔をこれ見よがしにしかめてみせる。
契約上、ウィングエンはリダルの護衛で、リダルは雇い主ということになるのだが、自分の父親と同じ四十代のウィングエンに対して、リダルは敬語を使っている。ただし、そこに敬意はほとんどの場合含まれていない。
「前にも言ったろ。ラリオンよりファイスのほうがもっと嫌だからだよ」
憂さ晴らしのようにパンを噛みちぎりながらウィングエンは言う。
「あと、南下するのは寒いのが嫌だから。年取ると寒さがいちばん体にこたえるんだ。二十代のおまえにはわかんないだろうけどな」
「また年寄りぶって」
リダルは呆れたが、理由についてはそれ以上追及しなかった。
おそらく、ウィングエンがファイス帝国の支配圏内には足を踏み入れないのは、自分のために無用な争いが起こることを危惧しているからだろう。
東のラリオン。西のファイス。
いずれはこの二大帝国が大陸統一をめざして直接戦火を交えることになるだろうが、それはできるだけ先延ばししたい。ウィングエンはそう考えているのだ。
(さすが、元近衛騎士)
ウィングエンにはわからないよう、リダルはこっそり苦笑いする。
(姿は〝おっさん〟になっても、魂は高潔だ)
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