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一
それらはごく当たり前に、けれどもひっそりと世界の片隅に存在していた。
世に溢れる人間の感情を一切斟酌することなくただ移ろい、生きるために食み、蠢き、時に災厄を招き、時に福を招く。
いつしかそれらは、禍福神、と呼ばれるようになった。
空は曇天。多分に湿気の含まれた風がひたひたと肌にまとわりつき、鈍色の空からは絶えず雨が降り注ぐ。雨は日中は激しく降ったが、夕刻に入ってからやや落ち着きを見せ始めた。
「うおー、湿気る」
内縁にだらしなく腰掛けていた多聞は湿気のお陰ですっかり跳ねてしまった髪をかき回し、薄墨色の着物の背を丸めた。
多聞の視線の先の小さな畑にはネギが列を成して生えている。青々としたそれは、ようやく夏の蒸し暑さを脱した秋雨のこの時期はまだ成長途中なのだろう、少し若い。日によっては動くと軽く汗ばむような陽気にもなるけれど、今日のような曇り空の日は肌寒く、徐々に近づく冬の足音を感じた。
ふと思い立ち、沓脱石の上の草履を失敬して庭に下りた。畑の脇を抜け見晴らしのいい場所までやってくると、多聞は辺りを見回した。見渡す限りの山、山、山。四方八方を小高い尾根に囲まれた多聞のいるこの場所も、そんな四方を囲む山々の連なりの一つだった。
山から己の背後へとぐるりと頭を巡らせれば、世俗から隠遁した世捨て人でも住んでいそうな小ぢんまりとした家がある。先ほどまで多聞が腰掛けていたのはこの家の縁側だ。
(さてなあ)
多聞は家を見上げて思案するように親指と人差し指で顎を撫でた。
ここには誰かが住んでいる。しかし多聞は今日の昼にこの場所を訪れてからというもの、ただの一度も人の姿どころか人影さえ目にしたことはない。
ここに人が住んでいる。
それは間違いないというのに。
――ことの起こりは昨日。仕事の依頼を受け、多聞が内陸のとある山里を訪れたことに端を発した。
「おお、あなた様が奉禍師様でいらっしゃいますか。こんな辺鄙な村まで、遠路遥々ようおいで下さいました」
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