壁ドン編

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壁ドン編

「ごめんね、山本さん。逃げ出す口実にしちゃって」 「ううん、いいの。私も木村くんと校内を案内してあげる約束をしていたような気がするし」 頭の中までホットホットな花子はあんぽんたんなことを言い出した。 「あはは!朝も思ったけど、山本さんって面白い子だね。ぶつかったのに、トーストをもぐもぐする女の子なんて初めて見たよ」 見られていたのか、花子一生の失態! 苦悶する花子をよそに健は爽やかに笑っている。 「お願い、あんな姿忘れて」 「どうして?」 「だって恥ずかしいでしょ。初対面があれなんて」 初対面と聞いて健の眉がピクリと動くが、健の顔を見られない花子は気がつかなかった。 「そうか、やっぱり…」 あごに手を添えて小さくつぶやく。イケメンは思わせ振りにつぶやく仕草すら絵になる。 「えっ、何か言った?」 「ううん、なんでもないよ。それよりここが体育館だね」 つぶやきを誤魔化すかのように、健は大きな声で言った。 「うん、曜日ごとに昼休みに使えるクラスが決まっているの。残念ながら今日は違うクラスの日だけどね」 「なるほど、使える日が楽しみだなあ」 「木村くんは運動好きなの?」 キラキラと目を輝かせて言う健を見て、花子は写メを撮りたい衝動を抑えつつ聞いた。 「うん、ちいさい頃からお手玉をやっていてね」 体育館でやる必要がまったくない競技だが、乙女モードの花子は(私もお手玉されたい!)とあらぬ妄想にふけっていた。 お手玉について熱く語る健を欲望に満ちた目で見つめる花子の顔は野獣のようだった。 「お手玉はやっぱり体だけでなく、こう、広い心で受けとめて、って危ない!」 不意に壁際に押し付けられた花子の横を、バスケットボールがビュンとけっこうな勢いで飛んでいった。 「ごめん、ごめん。ぶつかってないか?」 そんな声も花子の耳には届かなかった。 なにしろ花子の頭の横には壁を突いた健の腕。目の前には健の細いのに喉仏が浮き出た首筋が、息もかからんばかりの近くにあった。 そう、いわゆる壁ドンの構えである。 花子はこの時、もう死んでもいい、と思ったと後に語ったという。
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