そして誰もいなくなった。

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 象がいなくなった。  そう気づいたのは仕事から帰ってきた夜だった。  僕の部屋には箱庭が一つ置いてある。青い壁に白い砂が敷き詰められた四角い箱庭。隣のラックには木や建物、動物が所狭しと並んでいる。療法に使用されるそれは完全な僕の趣味だ。大学生のとき、授業でその魅力に取りつかれ、結局一つ購入してアパートに置いてある。ちまちまと集め続けた箱庭用のフィギュアももう大分集まった。  何か悩み事があるとか精神が不安定だとか、そういうわけではない。箱庭の砂の手触りや、色とりどりな模型、無心になって自由に作ることができ、壊すことのできる箱庭の世界は、癒された。何も考えなくていい、というのは酷く楽だった。作ったところでそれを分析したりはしないあたり、SandplayTherapyという感覚の方が強いだろう。  僕の記憶が正しければ、この箱庭はこの前の日曜日に作ってそのまま放置していたものだ。  四角の箱の中、白い砂地に枠に沿って木の模型が置いてある。そして真ん中だけぽっかりと白い砂が見えている。森の広場を真上から見たような状態だ。そしてその広場の真ん中に、動物たちが丸くなって向かい合っている。人、猿、猫、犬、キリン、兎、鶏、虎、馬、そして象だ。あとは広場にぽつぽつと黒い石が置いてある、それだけ。特に何かイメージしたわけでもないが、ラックに置いてあるもともと少ない生き物の模型の全てを使った覚えがある。  それなのに、何故か象がない。象だけがいなくなっている。  記憶をひっくり返すが、確か朝まではあったはず。少なくとも自分で動かした記憶はない。週末に作った箱庭は翌週末まで放置するのが僕のこだわりだ。自分で一つだけ模型を移動させることはない。  「何でだ……?」  首を傾げながら、箱庭の周りやラック、砂の中を探してみるが、見つからない。灰色の象の模型だった。指でつまめるくらいの大きさで、長い鼻が足元あたりまで垂れている。いつ買ったかまでは覚えていないが、確か模型の中では中途参入だった気がする。  結局、どこを探しても象は見つからなかった。訝しみながらも、仕方なくその日は寝た。どうせこの部屋のどこかに必ずあるのだろうから。週末にでも探せばいい、と。  箱庭の生き物たちの輪は、象の部分だけポッカりと空いていた。
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