11 出品者専用控室

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11 出品者専用控室

 その一瞬――  夕夜と美奈には何が起こったのかわからなかった。  一般にロボットは瞬発力に欠けるが、この場合は人間であっても、すぐには把握できなかっただろう。ただ一人の例外を除いては。 「女の腹を蹴るなんて、サイテーね」  部屋の外で、あの女――彩の声がした。 「いきなり人の腹を刺そうとするのもサイテーだと思うけどな」  と答えたのは、若林ではなく正木だった。 「それに、俺はロボットの女は女と認めてない」  ついさっきまで、正木は夕夜の隣に座っていたはずだった。しかし今、彼はドアが閉まらないよう片手で押さえながら廊下に立っている。  そして、ドアを開けて立っていたはずの若林は、なぜか壁際にいて、何が起こったかわからないという顔をして正木を見つめていた。 「いったい、何が起こったんですか?」  そう訊きながら、正木の背後から美奈と一緒に廊下を覗きこんでみて、夕夜はだいたいのところを察した。 「どうしたもこうしたも、このお姉ちゃんがいきなり若林刺そうとしたんだよ」  夕夜にドアを任せてから、正木は呆れたように肩をすくめて、自分の前にいる人物を顎で指した。  長い髪をブリーチにした、小柄な女だった。光沢のある白いブラウス以外は、ベストもホットパンツもロングブーツも、すべて黒い革製だ。胸元には、金色に光るアクセサリーがいくつもぶら下がっている。  彩はちょうど、壁によりかかるようにして座りこんでいた。  顔はさらりとした髪に半分ほど隠されていたが、それでも、彼女が意外なほど幼い顔立ちをしていて、なおかつ、少し毒々しいくらいの化粧をしているのがわかった。  ロボットでも化粧をしているものは珍しくないが――ちなみに美奈はスッピンだ――彼女の場合はひどく不似合いに見えた。まるでいち早く大人になりたいと願っている少女のように。だが、その顔に浮かべている表情は、人生に疲れた女の暗い自嘲だった。 「体が、動かないわ」  正木を責めるでもなく彩は言った。その傍らには彰が立っていて、相変わらずの無表情で彼女を見下ろしている。 「たぶん、今ので回路が切れたんだな。俺もとっさのことで手加減できなかった。でもまあ、今はそのほうが都合がいい。また襲われたら厄介だからな」  正木は彩の近くに転がっていたナイフを拾い上げた。恐ろしいことに、ジャックナイフだ。それを興味深そうにしげしげと眺めてから、慣れた仕草で刃をしまい、ジーンズのポケットの中へと突っこんだ。  つまり、正木はあの一瞬の間に若林を突き飛ばし、彩の腹に強烈な蹴りを入れて、廊下の壁まで吹っ飛ばしたらしいのである。  これはあまり知られていないが――というより、本人が故意に隠しているふしがある――実は正木は有段者だ。しかし、一撃でロボットの動きを止めてしまうとは。夕夜は〝背筋が寒くなる〟というのが少しわかったような気がした。 「で?」  と、正木は腕を組んで、彩と彰の顔を交互に見た。 「あんたら、誰のロボットだ?」 「彰に訊いて」  気だるげに彩は目を伏せた。 「彰が言うなら、あたしも言うわ」 「彰って、こいつか?」  正木は横目で彰を見た。だが、彰は表情ひとつ変えず、また何ひとつ言わなかった。 「どうも、こいつには答える気はないみたいだな」 「そう。なら、あたしも言わない」 「じゃあ、何で若林を殺そうとした? いったい、何が目的だ?」 「殺すつもりはありませんでした」  彩が何か言う前に、唐突に彰が割って入った。 「私は、若林教授にお願いしようと思ってここに来ました」 「お願い?」  ちょうど廊下に出てきた若林が、左肩をさすりながら訊ねた。ナイフの犠牲になるのは免れたものの、正木に突き飛ばされて壁に肩を打ちつけたらしい。それでも刺されるよりはましというものだろう。 「はい。ですが、それを言う前に彩が教授を襲いました。私は彩よりも反射速度が三十パーセントほど遅いので、彩を止めることができませんでした。申し訳ありません」  おそらく、それが彰の精一杯なのだろう。彰はぎごちなく頭を下げた。 「いや、それはまあ……」  返事に困って、若林は自分の頬を掻いた。殺されかけても、どうも怒る気になれない。すべてが一瞬のうちに起こり、また終わってしまったので、恐怖感を覚える暇もなかったのだ。 「あ、そういや正木」 「あんだよ?」 「俺、おまえに助けてもらったんだよな。ありがとう」  ――この男って……  若林と彰以外の全員がそう思った。 「それで……結局、お願いって?」  一同の呆れ顔にはまったく気づかないまま、若林は彰を促した。 「はい。今日のコンテストを棄権してください」  彰の〝お願い〟は、超ストレートだった。  とにかく、中に戻ろうということになり、正木が彩を横抱きにして、控室のベッドの上に運んだ。  体が動かないという彩の言葉は嘘ではなかったらしい。正木に触れられるといかにも不快そうに顔をしかめたものの、結局何もできなかった。彩と一緒に彰も中へ入れたが、彰は自分の仲間がそうなっても、特に何の感情も抱いていないように見えた。 「棄権してくれと言われてもなあ」  彩の腹部を検査中の若林の気持ちを、正木が代弁した。若林と彩以外は、皆テーブルについている。 「こっちにも都合ってもんがあるし。だいたい、どうして若林に棄権してもらいたいんだ?」  彰は何も答えなかった。こういうとき、正木と視線を合わせないようにうつむいていれば、〝人間らしく〟見えるのだろうが、彰はまっすぐ正木を見つめたままだった。 「黙秘か。素敵なくらい身勝手だな」  正木はにやりと笑うと、前を向いたまま「夕夜」と呼んだ。 「はい?」 「そこのインターホンで、受付に確認とってくれ。川路が今日ここに来てるかどうか」  その言葉を聞いて、彩は目だけを正木のほうに動かした。彰は無反応のままである。 「来てるかどうかって……もう来てなくちゃ出られませんよ?」 「いいから、訊いてみろ」 「はあ……」  首をかしげながらも、夕夜は壁に据えつけられているインターホンの受話器を取った。正木の命令は絶対である。 「あ、もしもし、ちょっとお訊きしたいんですが……」  夕夜が簡潔に訊ねると、受付嬢は迅速に答えてくれた。 「どうしてわかったんですか?」  受話器を置くが早いか、夕夜は驚愕の目で正木を見た。 「川路、棄権してたんだろ?」 「ええ、そうです。どうして?」 「どうしてって……あのプログラムを使えないんじゃ、川路は棄権するしかねえだろうが。奴は別に優勝する必要はねえんだからな。後はどうにかして若林を棄権させちまえばいい。コンテストに出なけりゃ、どうがんばったって優勝はできねえ」 「じゃあ、この人たちは川路博士の……?」 「あんたが〝夕夜〟?」  夕夜が彩のほうを見ようとしたとき、彩がそう口を開いた。 「え、ええ?」  急に名指しされて、夕夜は戸惑いながらもうなずいた。人間とは話し慣れているが、実はロボットとはあまりしゃべったことがない。というより、夕夜と対等に会話できるようなロボットとは、美奈を別にすれば、まだ会ったことがないのだ。  だが、たとえ彩が人間であったとしても、夕夜はやはり身構えてしまっただろう。〝馬が合わない〟とはこういうときのことを言うのかもしれない。  彩はベッドに横たわったまま、しばらく横目で夕夜を見ていた。その視線に気おされて、夕夜がそっと目をそらしたとき、彩は再び言葉を発した。 「確かに、あんたは人間みたいね」  予想外の言葉に、夕夜は目を上げた。そのときには彩はもう夕夜は見ておらず、疲れたように瞼を閉じていた。 「あいつは、彰があんたみたいじゃないからって、何度も彰を怒鳴ったわ」 「え……」  とっさに夕夜は彰に顔を巡らせた。それでも、やはり彰は無表情のままだった。 「でも、そんなの、彰のせいじゃないじゃない。彰を作ったのはあいつなんだから。それなのに、あいつは彰を責めるのよ。何でおまえはそうなんだって。そんなふうに作ったのはあいつだってのに」  彩の声は不思議と穏やかだった。それまで、彩のブラウスを開いて腹部を診ていた若林は――その姿はロボット工学者というよりも医者のようだった――眉をひそめて、彩の服を元どおりにし、ベッドのそばの椅子に腰を下ろした。  つまり――彼はさじを投げたのだ。 「あたしが今日ここに来たのもあいつのためじゃないわ。彰に若林教授に棄権してもらいたいんだけど、どうしたらいいだろうって相談されたからよ。あたしは別にどうだってよかったわ。あいつが勝とうが負けようが。ただ、あいつを困らせてやりたかっただけ。もしあたしがほんとにここに出されてたら、絶対メチャクチャにしてやったわよ。だって、恥をかくのはあたしじゃなくて、あたしを作ったあいつだもの」 「だからって、若林襲うなよ。こっちはすげえ迷惑だ」  正木はテーブルから離れてベッドのそばに立ち、呆れ顔で腕組みした。  目を閉じたまま、彩は軽く笑った。 「そうね。悪かったわ。だから、お詫びに言うわ。――あたしたちを作ったのは、川路智洋」 「彩」  そのとき、控室に入ってから初めて彰が声を出した。彩を責める意図で発せられたとおぼしきその声には、やはり感情がこもっていなかった。 「あたしはあの男に言わせると、〝人間的〟なんだってよ」  彩のあどけない顔に、侮蔑の笑みが浮かんだ。 「だから、あたしがあの男に逆らいたくなるのもそのせいかもしれない。あいつはあたしを〝大和撫子〟にしたかったらしいけど、結果は見てのとおりよ。ざまあみろだわ」 「…………」 「でも、彰を見てると思うのよ。〝人間的〟なロボットなんて、もうロボットでいる資格がないんじゃないかって。あたしはこの世に生まれるんなら、やっぱり人間として生まれてきたかったわ。もし、どうしてもロボットとして生まれてこなくちゃならないんなら、彰みたいになりたかった。――夕夜、あんたにはこんな気持ち、わかんないわよね?」 「ええ、わかりません」  夕夜の声は、正木と若林が驚いたくらい、きっぱりとしていた。 「僕もよく〝人間的〟などと言われますが、僕は人間に生まれてきたかったなんて、ただの一度も考えたことはありません」 「…………」 「僕は、ロボットです。〝人間の喜びを糧とする生き物〟です。自分を作った者に逆らうことなど、僕には考えられません。そんなことをしたら、僕の存在理由がなくなります。それができるあなたは、ロボットより人間に近いのかもしれない。ですが、僕はあなたを羨ましいとは思いません。むしろ、かわいそうに思いますよ。あなたが自分で言ったように、あなたにはロボットでいる資格がないけれど、かといって、人間には決してなれないのだから」 「夕夜……もうそのへんにしとけ」  正木は苦笑して、片手で夕夜の頭を抱き寄せた。この〝人間型ロボットの最高傑作〟は、手加減するということを知らない。 「このお姉ちゃんもそんなことは自分でよーくわかってる。それに――もう聞こえない」 「え?」  夕夜は正木の腕をはずして、ベッドの上の彩を見た。  まるで眠っているかのように目を閉じている彼女は、先ほどまでと何も変わらない。その口元から笑みが消えていること以外には。 「機能停止だ」  膝の上で両手を組んだ若林がぼそりと言った。 「直すには、全身を全部チェックして、パーツ交換しなけりゃならない。いずれにしろ、ここでは無理だな。俺も他人のロボットはいじりにくいし」 「し……死んじゃったの?」  正木にしがみつくようにして、美奈がおそるおそる彩を覗きこむ。  考えてみれば、この彩は、川路が出品していれば、美奈のライバルとなったのだ。だが、美奈は最初から彩にも彰にも興味はなさそうだった。それとも、こう見えて人見知りするタイプだったのか。 「死んじゃったか。確かに、そんな言い方もできるな」  そう答えてから、正木はいまだテーブルに着いたままの彰を振り返った。 「で、どうする? 何度お願いされても、こっちは棄権するつもりないんだが」 「どうしてもですか?」  抑揚のない声で、彰は念を押した。 「どうしても。ところで、川路はおまえらがここに来てることは知らないんだろ?」 「はい。川路先生には黙って出てきました。だから私はスクラップになります」 「スクラップ?」  突拍子もない彰の答えに、一同は思わず斉唱した。 「はい。川路先生は私が家の外へ出たら私をスクラップにすると言っていました。だから私はスクラップになります」  ――それは単なる脅し文句であって、本気でそうするつもりはないのでは……  一同が当惑して互いの顔を見合わせたとき、インターホンが鳴り出した。 「あ、はい、若林ですが」  誰よりも先に夕夜が受話器を取った。すぐに困り顔で受話器を戻す。 「若林博士、時間だそうです。でも、どうしましょう? このまま放っておくわけにもいきませんし……」 「いいよ、若林。美奈と一緒に行ってこい」  正木がそう言って、親指でドアを指さした。 「いいよって……正木」  若林が驚いて、椅子から腰を浮かせる。 「だって、もう出番が近いんだろ? いいからおまえらは行ってこいよ。あとは俺と夕夜で何とかするから」  厄介事は嫌いなはずの正木凱博士は、なぜか妙に嬉々としたご様子だった。
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