13 ロボコン会場

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13 ロボコン会場

 夕夜が薄暗い会場内に入ると、ちょうど若林の前の前の組が終わるところだった。  若林の前は川路の予定だったので――そう、なぜかそういう順番にされたのである。ちなみに、若林がいちばん最後だ――次は若林ということになる。いいタイミングだったと言いたいところだが。 (座るところがない……)  始まる前にはまだいくらか空席があったのに、今やそれもすべて埋まっている状態だった。しかも立ち見までいて、これ以上前に進めない。  もともと広い会場である。後方からは舞台がほとんど見えないため、舞台奥に巨大なスクリーン、壁面の各所にディスプレイが設置されている。立ち見でも壇上の様子はわかるのだが、やはりちゃんと椅子に座って見物したかった。  それにしても、ロボットコンテストというのは、けっこう人が集まるものらしい。若林の話では、それほどメジャーではないということだったのだが(若林は参考のため、いくつも見て回っていた。自分が参加したことはなかったが)。 「夕夜、こっちこっち」  正木の姿を捜していると、人ごみからその正木が現れて夕夜を手招きした。どうやら彼も座れなかったようだ。 「次ですね」  正木の隣へ行くなり、夕夜はそう囁いた。 「だな」  少しは嬉しそうな顔をするかと思いきや、正木は渋い表情をしていた。 「どうかしたんですか?」 「ん? ああ、ついさっき知ったんだけどな……」  そう言って、正木は自分の頭を掻いた。 「この人の多さは、若林のせいらしい」 「は?」 「ほら、スリー・アールは開催前にホームページで出品者リストを公開するだろ? あれでどうも若林が出品することを知ったらしいんだな。そうなりゃ嫌でも人は集まるわな。あれでも一応、ロボット工学の第一人者だし」 「一応、そうですよね」  夕夜たちには、ただの呑気者にしか思えなくても。 「博士」 「うん?」 「さっき――本気で彰くんを買い取るつもりだったんですか?」  あくまで真剣に訊ねたつもりだったのに、正木はぷっと噴き出した。 「いくら何でも、一億なんて金はキャッシュで払えねえな」 「それじゃあ……」 「まあ、そういうこった。野暮なことは訊くんじゃねえよ。俺もおまえが川路に何を言ったか、訊く気はねえからよ」  正木は悪戯っぽく笑うと、夕夜の頭を拳でこつんと叩いた。  かなわないなと思う。  たぶん、自分が川路に話があると言ったときに、正木はもう何を話すつもりかわかっていた。そして、わかっていながら止めなかった。きっと、正木も夕夜と同じように、今の川路ならバラさないと判断したのだろう。 「正木博士……」  ――いつになったら、僕は川路博士以外の人にも、ほんとのことが言えるようになるんですか?  夕夜がそう言おうとしたとき、(しゅう)()のような拍手が起こった。 「おー、次だぞ、次!」  一応、お義理程度に手を打って、正木が子供のような笑顔で言う。出鼻をくじかれた形になった夕夜は、ま、いいかと思った。  たぶん、夕夜だけではなく、正木もその日が来るのを待っているのだ。夕夜は正木と二人で作ったのだと、若林が自分から言ってくれる日を。 「はい、ありがとうございました。あちらで結果をお待ちください」  壇上の司会者はそう言って、学生グループとその出品ロボット〝ノートくん〟(居眠り学生に代わって講義を記録してくれるスグレモノとのことだが、単に人間の形をしたビデオカメラと言えなくもない)を下がらせた。  まだ若い男である。雰囲気は爽やかそうだが、特に個性的というわけでもない。中肉中背。顔は眼鏡をかけているのが最大の特徴だ。  そんな彼は、実はスリー・アールの営業部ならぬ技術開発部の人間であり、ロボットコンテストの常連の間では名司会者として定評がある。  おうおうにしてロボットコンテストは、単調で退屈な、まるで卒論発表会のようなものになりがちである。それを嫌ったスリー・アールは、機転がきいて、ジョークも言えて、しかもロボットの知識もある(そしてそれをひけらかさない)人間をコンテストの司会者に据えた。  これは大いに当たり、スリー・アールのコンテストは素人でも楽しめる〝ショー〟となった。彼がうまくフォローしてくれるとわかっているから、出品者は事前の簡単なミーティングだけで舞台に上がれるし、観客も安心して舞台を見ていられるのである。 「えー、次の川路智洋さんですが、ご都合により棄権されました。というわけで、本日はもうこの次の方で最後です」  まだ何も言っていないのに、わあっと歓声が上がった。この次が誰なのか、観客はもう知っているのだ。それに司会者は心得ましたとばかりに微笑んだ。 「ここにいらっしゃる皆さんなら、知らない方はいないでしょう。よって私もつまらない前置きはなしにします。では、さっそくご登場していただきましょう。K大学教授、若林修人さんです!」  掛け値なしの拍手が沸き起こった。その大きさに圧倒されて、正木と夕夜は拍手しそびれてしまった。  もちろん、彼らも若林が凡人だとは思っていなかったのだが、こうして世間の反応を生で見ると、誇らしいというより戸惑ってしまう。彼らの知っている若林は、日常レベルではトボけた男だったので。  熱烈な拍手に迎えられて、下手からまず美奈が現れた。こんな大衆の面前に出るのは初めてのはずなのに、彼女に緊張した様子はまったくない。少し歩いて、下手の奥を振り返ると、強引に誰かの腕を引っつかみ、そのまま舞台の中央へと引きずり出した。  しんと会場内が静まり返った。  巨大なスクリーンに映し出された美奈は、信じられないほどに美しく、そして、人間そのものだった。仕事柄、数多くのロボットを目にしてきているはずの司会者も、しばらく彼女に見とれていた。 「あ、えーと……こんにちは」  美奈にじっと見つめられて、司会者はあわててマイクを差し出した。そうしてから、彼は彼女に腕をつかまれている、ひときわ長身の男の存在に気づいたらしい。一瞬ぎょっとしたように身を引いてから、おそるおそるその男に訊ねた。 「あの……若林教授……ですよね?」 「はあ……一応そうです」  困り果てたような顔をして、その男――若林修人は答えた。何が一応なんだ、何が、と冷ややかに思ったのは、この広い会場の中で、正木と夕夜だけだっただろう。  ここにいるような人間なら、若林の顔は知らないわけでもない。だが、実際こうして見てみると、その若さと端整な顔立ちとに改めて驚かされる。こんな男が、あの伝説の〝夕夜〟やこのまったく人間としか思えない美少女を作ったのか。人々の驚きはそこに集約された。 「ええと、初めまして。本日はようこそおいでくださいました。正直言って、こんな日が来るなんて、僕は夢にも思っていませんでしたよ」  ようやくいつもの調子が戻ってきた司会者は、そう言って若林にマイクを向けた。 「はあ……僕も思っていなかったです」  皮肉ではなく、真面目にそう言っているのだとわかった者は、たぶんこの広い会場の中で、正木と夕夜だけだった。 「あー、まあ、それは置いといて、さっそく教授のロボットを紹介していただくことにしましょう」  白けた間を、司会者は笑顔でねじふせた。とにもかくにも、コンテストは進行させなければならない。 「えー、まずお名前から。何ておっしゃるんですか?」 「〝美奈〟です。美しいに奈良の奈の」  今度はごくまっとうに若林は答えた。何もしなくていいと言われた美奈は、本当に何もしていない。相変わらず若林の腕をつかんで立ったままである。 「〝美奈〟ちゃんですか。可愛いお名前ですね。やはり、教授がおつけになったんですか?」 「いや、僕がつけたというより……」 「正木博士が言ったんですよねえ」  わざわざ正木の耳元で、夕夜は嫌味ったらしく言ってやった。 「僕を作った後、次に作るなら女がいい、名前は〝美奈〟がいいって。よかったですねえ。どういう形であれ、それが実現して」 「夕夜……黙ってろ」  そんな二人の会話が聞こえたはずはあるまいが、若林は、 「ええ、そうです。僕がつけました」  と言い直した。さすがにこれは正直に答えてはまずいと思ったらしい。ちなみに、〝夕夜〟というミーハーな名前(何しろ湯桶読みだ)も正木がつけた。由来は、()方から()の間に作ったから。綺麗な名前だとよく評されるが、その由来には夢も希望もない。 「そうですか。じゃあ、〝美奈〟ちゃんは、あの〝夕夜〟くんの〝妹〟――ということになるんですね?」 「え? まあ、そういうことになりますが、でも……」  ここでなぜ若林が口ごもったのか、正木たちにはわかった。次に何を言うつもりかも。 「夕夜は……僕一人で作りましたが……美奈のプログラム製作者は、別にいます」  どよめきが起こった。正木は今すぐここから逃げ出したいと思ったが、それを察知した夕夜にがっちり腕をつかまれてしまった。 「そ、そうなんですか? いったい誰なんです、それは?」  興奮した口調で、司会者は若林にマイクを突きつけた。その勢いに若林は少したじろいだが、頬を掻き掻き、自分からマイクに口を寄せた。 「ええと……僕の元同僚で……正木凱といいます」  決定的だった。  一瞬、場内は完全な無声状態になった。 「あの……正木凱さんといいますと、かつて教授と一緒に〝桜〟の設計をなさった、あの正木凱元教授のことでしょうか?」  そう確認を取る司会者は、なぜか小声である。 「はあ……そうですが」  それを合図に、沈黙がはじけ飛んだ。司会者は若林から一気に飛びのき、夕夜は正木に思いっきり抱きしめられていた。 「正木博士……嬉しいのはわかります。恥ずかしいのもわかります」  あえて冷静に、夕夜は正木の耳元で囁いた。 「でも、できたら少しだけ、力をゆるめてくれませんか。でないと、僕も彩さんみたいに機能停止に陥りそうです」 「いや……すみません。そうでしたか。美奈ちゃんは、あの正木元教授との共同製作でしたか」  はっと我に返った司会者は、照れ笑いをしながら頭を掻いた。だが、その顔は明らかに少しこわばっている。若林と正木の例の噂は、こんなところにまで広まっていた。 「いやあ、驚きました。じゃあ、今日ここに正木さんもいらしてるんですか? もしいらしたら、ぜひここで一緒にお話をお聞きしたいんですが」  何てことを言うんだと夕夜は思った。せっかく弱まったのに、前よりさらに強くなってしまったではないか。 「いや、あいつは来てません! ここにはいません!」  あわてて若林は手を振った。彼にとって、正木の命令(お願い)は絶対である。たとえ地球最後の日が来ようとも、彼がそれを破るわけにはいかないのである。珍しく大声を出した若林に、司会者は驚いたようだったが、 「あ、そうなんですか。それは残念ですね」  と、あっさり引き下がってくれた。おかげで夕夜は何とか機能停止を免れた。 「じゃあ、美奈ちゃん。美奈ちゃんには何か、得意なことはあるんですか?」 「いえ、別に……」  などと若林が答えようとすると。 「はい、お歌歌えます!」  突然、美奈が空いている片手を高々と挙げた。  再び沈黙。そしてどよめき。  壇上にいる若林は唖然とし、正木と夕夜は互いの顔を見合わせてから、そろって天井を仰いだ。もう、どうしようもない。 「お歌……ですか」  大人っぽい外見には不似合いな物言いに、司会者もあっけにとられた様子だったが、すぐに自分のペースを取り戻した。 「へえ、それはいいですねえ。どんなお歌が得意なんですか?」  そう訊かれて、美奈は嬉しそうににぱっと笑った。ずっと黙っていたので退屈していたらしい。 「えっとねえ、うさぎがおいしいの歌!」 「うさぎがおいしい……」  さしもの司会者も、今度は気を取り直すのに時間がかかった。 「えーと、その……僕、不勉強なもので、どんな歌かわからないんですけど……よかったら、今ここで歌っていただけませんか?」  美奈はきょとんとした顔で司会者を見返してから、隣の若林を見上げた。ちなみに、彼らの身長差は頭一個分以上ある。 「だって。若ちゃん、歌ってもいい?」 「……いいよ。もう何でもおまえの好きなことをしろ」  〝若ちゃん〟は開き直った。そもそもこんなところに来るはめになったのも、自分が買わなくてもいい喧嘩を買ったせいだ。美奈のせいでどんな恥をかこうとも、それはもう自業自得、身から出た錆というものではないか。言うべきことはもう言ったし、この際、勝負の結果もどうでもいい。 「はーい。じゃ、歌いまーす」  そう宣言してから、美奈は若林の腕をつかんだまま、司会者がマイクを差し出すのを待たずして、いきなり歌い出した。  再度、場内は静まり返った。  伸びのある、澄んだ高い声。そして、その声が歌うのは―― 「〝故郷〟ですね」  初めて聞く〝妹〟の歌声に、夕夜は耳を澄ませた。  リアリティを追求する若林は、夕夜たちに人間と同じ声帯を与えた。夕夜が〝人間〟として外を出歩けるのは、そのおかげでもある。 「〝うさぎ追いし〟で〝うさぎがおいしい〟か。あいつ、歌詞わかって歌ってねえな」  正木が呆れた顔で腕を組む。その横顔を夕夜は微笑んで見た。 「でも、やっぱり教えてたんですね」 「え?」 「この歌。あなたが好きで、僕にも教えてくれたでしょう。僕は美奈ほどうまく歌えなかったけど」 「俺もうまく歌えなかったしな」  そう言って、正木ははにかむように笑った。  かつて、正木は半年の間だけ、夕夜の教育のために若林の家にいたことがあった。あの頃も正木は正木だったけれど、今のような柔らかい笑顔をよく見せてくれた。  ロボットである夕夜には、当然胎児の頃の記憶というものはない。が、羊水の中とはああいうものなのではないかと想像することがある。  終わることなど考えもしなかった、優しい優しいまどろみの世界。 「おまえらに渡したあのプログラムな。実はいつでもあの〝美奈〟になるとは限らなかったんだ」  物思いに耽る夕夜を、正木の声が現実に引きずり戻した。 「え?」 「いわゆる〝不確定因子〟っていうのを入れてあった。一つのプログラムで無数の人格を作ってみたくてな。だから、俺にもどんなのができるかわからなかったんだが、どんな場合でもあの歌だけは歌えるようにしてあったんだ」  再び、夕夜は美奈の歌声に耳を傾けた。  哀切なメロディ。今では別世界のような歌詞。たとえ意味はわからずに歌っているのだとしても、美奈の澄みきった声は、不思議と心に染みた。  その声を聞きながら、夕夜は彼女にもあんなまどろみの記憶はあるのだろうかと思った。  あるかもしれない、と思う。自分の〝妹〟の彼女なら。  このコンテストが終わったら、さっそく訊ねてみよう。そして、言うのだ。  ――僕にとっては、あの頃が〝故郷〟なんだよ。
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