プロローグ 七月二十九日

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 コンビニの二つ入りのオールドファッション。食後のデザートだったけど、一つは食べきれず余ってしまったもの。ぱあっと、夜目にも目に見えて表情を明るくした。キリッとした少しおっかない顔が、親しみやすくなる。ドーナツを受けとると、大きな口をあけ二口で食べきってしまった。  もふもっふと顎を動かし真剣に食べている表情は、記憶の奥のなにかを喚起させた。  ――あ、ヨサク。  幼少期に隣の家が飼っていた、黒い秋田犬の食事風景。がっしりと大きな手足も身体も、そういえばヨサクっぽいかもしれない。犬と比べるなんて、すごく失礼だけど。  一気に懐かしさと、妙な親しみやすさを感じてしまった。  ヨサク――ではなく、彼はドーナツを飲み込むと、なにかを期待するようにこちらをじっと見つめる。 「ごめん、もう食べ物はないんだ」 「――そう」  しゅんと見るからに萎れた。ヨサクのように耳と尻尾があったら、力なく垂れ下がっていたと思う。そういうところも食いしん坊だったヨサクっぽい。  そりゃ、あんな小さなドーナツ一つで、巨体の腹は膨れないよね。  濡れ鼠の、行き倒れの腹をすかせた見ず知らずの男。どう見ても怪しい。――だけど。 「えーと、うちくる? ご飯あるけど」 「いいの?」  ぱぁっと、またしても彼の声は明るくなった。口元の表情筋は動きが乏しいけど、目の表情があからさまだ。そんなところも犬っぽい。  そんなに濡れてちゃ、電車にも乗れないだろうし。 「たいしたものは、ないけど」 「いく」     
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