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八神の告別式は喪主隆也で執り行われた。
依子は出席しなかった。
行けば、「よくも顔を出せたものだ」と罵られ
行かなければ「結局情のない女だ」と陰口を叩かれる。
依子は伯母山の部屋に自分の両親と兄を呼び、
八神のお別れ会をした。
遺影も何もない。
ただ一緒に暮らしたという思い出だけがあるこの場所で。
依子はただ、八神と共に見た景色を眺めていた。
脳梗塞の手術を終えたばかりの父親が言った。
「これが、依子の選んだ生き方だ」
依子は、伯母山のマンションを売りに出した。
お気に入りの部屋だった。
窓が大きく、
南に海、西に街、北には山が四季折々の姿を見せた。
それは、このマンションのこの高さからしか見えない景色。
『終の住処だと思っていたんだけどね…』
依子は、もう最後になるであろうこの景色をしっかりと記憶に刻んだ。
そして、彼女の後ろに待機していた若い不動産屋に鍵を渡して、言った。
『買った時は、億ションだったのよ。』
不動産屋は顔を引きつらせて、愛想笑いをする。
『6000万か…税金払って、父にお金を返したら私の分は残らないわね。』
誰もいなくなった部屋に、鍵を閉める音が響いた。
依子が毎日丁寧に磨いていた御影石の床は、しばらく暖房を入れてないせいか氷のように冷たい。
うっすら埃をかぶった床には枯葉が一枚取り残されていた。
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