第六章 世間と言うもの

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〈匠51〉  今日は朝から俺は最高潮に不機嫌だ、もちろん大人として顔には出さないけれど。聞こえてくる会話に全身耳になって聞き入っている。  俺の仔犬が喰われそうなのだ。  「ねえ、コンタクトにしたら?ほら、勿体ない。先輩、そう思いません?」  「あら、上原くんって意外と可愛い顔しているのね」  「眼鏡を返してください。本当に何にも見えないんです」  こんなやりとりが書類キャビネットの前で延々と繰り広げられている。  隣の課のお局様の登場で、注意するわけにもいかず。苛々しながらキーボードに八つ当たりしている。  上原が恋人がいると山中さんに伝えたい、そう言っていたのを止めたのは俺だ。  あいつには嘘をつくのは無理。相手は誰だと追求されたら、ぽろぽろと余計な事がこぼれ落ちてしまう。  こんなのことで苛つく位なら、ぼろが出でも良いから山中さんにきちんと話をさせるべきだったのかもしれない。社内恋愛は互いが見え過ぎて厄介だ。  「上原、いつまで喋ってるんだ!さっき頼んだ書類まだ見つからないのか」  語気がきつくなってしまう、上原は泣きそうな顔になってしまった。  「あら、どうしたの。田上君。何後輩に当たってるの?とっとと結婚でもしたら?溜まってるんでしょ」  本当にこの人は苦手だ。余計な事を言うとすぐに火の粉がこちらへも飛んでくる。  「ご心配には及びません。独身主義ですから、大藤さんこそお先にどうぞ」  冷たく言うと画面に視線を戻した。シンとした冷たい空気が一瞬流れて、キャビネット前の井戸端会議はお開きになったようだ。  空気が読めない?  空気読めないじゃなくて読まないんだ。  上原がそそくさとデスクに戻ってきた、やたらとこちらを気にしている。「すみませんでした」と小さく尻尾を巻き込んで書類を差し出す。    しゅんとしたその表情に満足する。さっきの下らないじゃれ合いは許してやるかと思った。  こんな何でもない幸せな日々が永遠に続くと、思っていた。そう、二人の行く末は明るいと思っていたのに。
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