第四章 足踏み

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第四章 足踏み

<蓮28>    主任が今電話で話しているのは紺野さんだ、間違いない。  元恋人か、何だか気分が悪い。疲れてるのかな。  「お先に失礼します」とデスク周りを簡単に片付けてから出張の荷物を引きずって会社を出る。  「ねえ、上原君?だよね?」と声をかけられて驚いて声のした方を見る。綺麗な男の人が会社の前のガードレールに腰掛けていた。  「あ、こ、こんばんは」  慌てて紺野さんに挨拶する。  「たく……田上さんはまだ仕事中?」  微笑む姿も綺麗だと思う。本当に綺麗。男の人にそんな形容詞も変かもしれないけれど、一番ぴったりとくる。その綺麗な男の人は今、主任のことを匠と呼びそうになっていた。名前で呼び合う仲なんだと見せつけられた気がした。  「まだデスクの方にいらっしゃいましたけれど。お約束ですか?」  なぜか冷んやりとした気持ちが体の中に落ちていく。それを隠して事務的に聞いてみる。  「約束?そうだね。うん、約束かな」  少し考えてから紺野さんはふわりと笑った。綺麗だけれど寂しい笑顔だった。心臓が速くなる。でもこのドキドキは主任に感じていたドキドキとは違う。  呼吸が苦しくなる。辛い。  「そうですか。主任を呼んでまいりましょうか」  「そうだね、お願いしようかな」  たった今出てきたドアをまた戻る。営業のフロアに戻ると主任がふと顔を上げた。  「上原、どうした?忘れ物か?」  その笑顔になぜか涙がこぼれそうになった。
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