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03 - アイディーンは鏡を見て
アイディーンは鏡の前に立って、スィナンの青年の言葉の意味を理解した。
「なんだ、これは」
鏡に鼻先がつくほど顔を近づけて見入ってしまう。
廟所で目覚めてから、二人は屋敷へ戻りそれぞれ湯殿で身体を清めて、アイディーンは先に自室へ入っていた。
世話をやきたがる侍女たちをさがらせてふと鏡を見ると、左目が万華鏡のように輝いている。
「右目は……俺の目か」
もとの金茶色とはまったく異にする左目が、日の光の入る部屋のなかであらゆる彩りを帯びて、動いたりまばたきをするごとに色相を変える。
昨夜激痛に襲われた原因はこれかと納得したものの、カシュカイの言葉どおり契約の証が眼の交換だとすれば、彼の左目は金茶色になっているはずだ。
しかしそうはなっていなかった。
ではアイディーンのもとの眼はどうなったのだろうか。
思案しているうちに、扉が小さくたたかれた。
許可を与えるとカシュカイが入ってくる。
先導する侍女がいないところをみると、皆スィナンにおびえて逃げてしまったようだ。
「この目はどうなっているんだ」
アイディーンは自分の顔を指さして尋ねた。
「それは終の契約の証として私の眼と、あ……アイドの目を交換しているのです」
カシュカイが愛称を口にするのにひどくとまどう様子なのが微笑ましい。
「だが、おまえの眼はそのままだ」
「終の契約のとき、スィナンは〈真眼〉を用います。真眼は魔属から受け継がれた第三の眼、額の奥に隠されています」
カシュカイは愛おしむように額に触れる。
白い指先が自分の眼を愛撫するような錯覚に、アイディーンは無意識に目を細めた。
「なるほどな」
「すぐに眼の色を戻します」
スィナンの特異な色彩をもってしまったのを気遣うらしいカシュカイに、かまわない、と言おうとしたが、彼はすでに印を組んで術文を唱えている。
「幻隠の神カルンの名において……」
眼球そのものが発光したようなまぶしさを覚えて、アイディーンは思わず目を閉じる。
次にまばたきしたとき、鏡のなかの自分の左目はすっかりもとのように一対の琥珀に戻っていた。
「別に俺は気にしないが」
「スィナンに間違われるかもしれません」
感情もなく返された言葉が、アイディーンにざわりとした不快感をもたらした。
それはカシュカイへ向けたものではない。
彼は自分を卑下しているわけではなくただ事実を言っている。
無感情に自らを貶めざるを得ない彼の立場に、アイディーンは複雑な思いをはせた。
――二人は軽い食事をとりながら魔種狩りに発つ予定を話しあい、あとはもっぱら雑談に興じていた。
とはいえカシュカイは非常に口が重く、質問には答えるが自分から話題を提供するということがなかったので、会話はほとんど一方的である。
しかしアイディーンは気にせずシール島にいた事情を尋ねた。
言葉少ななカシュカイの説明によると、彼が島にいたのはシヴァスからの召喚を受けて向かう途中、魔獣の気配を感じたためらしい。
アイディーンの推測どおり樹海の周辺に術陣を敷いて法術を施したのも彼で、おびきよせられた魔獣をそのつど処理していたが、アイディーンの法術によって森のなかにとじこめられてしまった。
強引に解術することはもちろん可能だったが、術士に術返しとして害を与える危険性がある。
それは、いかなる理由と手段があったとしても人間を傷つける行為を禁忌とされたカシュカイには容易ではなかった。
アイディーンが使った瘴気をさえぎる法術のように陣を用いないものは、もともと長時間使用するたぐいの術ではないので負担が大きく、カシュカイは樹海のなかでさぞ危機的な状況に追いこまれただろう。
加えてアイディーンがもうひとつ気にかかったのは、なぜヴァルム・ドマティス導師に紹介されたとき、シール島で会った事実を話さなかったのかということだ。
「そのほうが良いかと……」
アイディーンの疑問に青年は言葉を濁した。
「あなたが報告すべきだとおっしゃるなら、すぐにそのようにします」
「いや、かまわない。責めているわけじゃないんだ」
アイディーンは首をふったが、彼は力なくうつむく。
カシュカイはヴァルム・ドマティス導師になにか含意があるのだろうか。
たしかにあの老導師は横柄で尊大だが、彼はそういう事情とは違うことを考えているのではないかと、ふと思った。
長いまつげが伏せられる。
その陰が目もとに暗さをおとして物憂げな様子を、アイディーンはただ美しいものとしてながめた。
スィナンの美しさは残虐さと同じように語られてきた。
その禍々しい妖艶さゆえに、糧食にされるとわかっていても心棒者となる人間が密かにいたという事実も。
だからこそ、余計に悪しき存在として一族は忌まれてきたのだった。
それは彼らのせいではないと気づきながら。
第二話 契約 END
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