1亡国の王子

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「馬が一頭?バルドはどうするのだ?」  少年が言うと、やれやれといった顔をしてバルドは鎧をずらした。すると器をひっくり返したように足元へと血が音を立てた。よくみればその鎧は穴が空き、裂けている。戦の趨勢を物語るように既にボロボロである。 「もう長くはもちますまい」  少年は涙を堪えて馬に跨った。 「若、先にヴァルハラにてお待ちしております。父君、祖父君と共にラグナロクで暴れましょうぞ」  ドンっと尻をバルドに叩かれた馬は嘶いて走り出した。  バルドの最後の言葉はその中身に反して優しい口調で少年の耳に残った。しかし、すぐさま戦場には雷のような雄叫びが木霊する。 「バーニシアの痴れ者どもがっ!エドウィン王子は既に海を渡り遠くフランク王国に逃げおおせたわいっ!手柄を立てたくばこの首をとってみよ!」  デイラ王国にこの人ありと勇名を馳せた戦士バルドの最期の戦働き。智勇を兼ね備えたブリタニア随一の猛将は散った。後に北海からアイリッシュ海に跨り平和をもたらす偉大なるブレトワルダ~覇王~の命をつないで・・・。  バーニシア軍が蹂躙しているデイラの地から遥か南のケント王国。この国には他の国々にはないローマの遺産や、ドーバー海峡を渡りフランク王国からもたらされた珍品、逸品に溢れている。なかでも最大にして至高の宝、それはキリスト教である。  カンタベリー大聖堂。首都において王宮をも凌ぐ洗練された建築物であり、ブリタニアにおける布教の中心地。  外の雑音から隔絶されたその祭壇に独りの少女が跪き祈っていた。明るい栗色の髪を真っ直ぐに下ろし、質素ながらも綺麗に洗濯された衣服は決して低くないであろうその少女の身分を伺わせるが、ただ他の少女と大きく違うところは女だてらに乗馬用のズボンをはいているところである。 「お祈りはもうお済で?」  髪を後ろに束ねた少年従士が長椅子に控えていた。 「ええ、とても清々しい気持ちです」  立ち上がり、祭壇を後にして身廊を歩いてきた少女が微笑みながら従士に返答した。  深い森にひっそりと湧き出る泉のように清浄でありながら、この年頃の少女に特有な熱気が奥底で潜んでいる瞳。  領民はみなこの少女を愛し、また少女も領民を愛した。  ケント王エゼルベルトの娘にして、フランクのパリ王カリベルトの孫娘。名をベルガという。ブリタニアにおいて並び立つ者のいない貴種である。
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