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「ライラ、遠乗りに行きますよ」
「イエス、ユアハイネス」
従士ライラがさざ波の様な声で応えた。
「もうすぐ海岸に着きますっ!」
ベルガ姫の声が道々に響く。農場を断ち割るようにウィットステーブル湾へと続く道を走る馬と従者。
農作業中やすれ違う領民達は王女の姿を見ることができただけでも僥倖。
道を明けて跪き、通りすぎた後はその幸運に酔って歌う。
「あなたより先に馬の息があがってしまいましたね」
「私のように学の無いものでもひとつくらい長所はあるものですから」
馬がバテたのに気づいてベルガは襲歩から常足に変えた。小一時間走り続けた馬は明らかに疲れているが、走ってついてきたライラは汗をかいているものの息一つ乱さずベルガと談笑している。
最初はその脅威的な身体能力に驚いたベルガも今は慣れたものだった。
少しづつだが、水面に照り返された日の光が見えてきた。
ベルガは海が好きなのである。母の故郷であるフランク王国、古典文献の研究が盛んなアイルランド。海を隔てた魅力の地。年相応の夢見がちな少女の憧憬。
しかし、ベルガは領民を愛するが故に夢に執心することなくこのケント王国もまた大事に思っている。そしてできれば神の教えをブリタニア全土に広めたい。そう常々思っている。
「人が・・・人が倒れています!」
叫ぶとベルガは馬を下りて走り出した。乱反射する日光によって確認できなかったが、海岸全体を見渡せるようになると波打ち際にそれは横たわっていた。
ライラはベルガが乗っていた馬を近くの木に繋ごうと引いていった。
「あなた、聞こえますか?」
返事はなかった。
「体を動かしますっ」
ベルガは腹這いになっているそれを起こして、仰向けにした。
「・・・・」
ベルガは息を呑んだ。
鮮やかな金髪に眉目秀麗な相貌。獅子のように雄々しく、鷲のように気高く、梟のように賢い。もちろんベルガの一方的な妄想に過ぎないのだが。
その少年の顔を見たときにベルガは胸の中をぎゅっと掴まれたような気がしたが、初めて体の奥底から湧き上るその熱が恋と呼ばれることを少女はまだ知らない。
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