誘惑のワケ

10/19
前へ
/237ページ
次へ
どうせ知るなら他の人からじゃなく、零士先生本人の口から直接聞きたかった。 ねぇ、零士先生、どうして話してくれなかったの? 薫さんとふたりだけの秘密だから? それとも私がまだ子供だからショックを受けると思ったの? 膝小僧を抱え虚ろな目で事務所のドアを凝視するが、今日に限って零士先生はなかなか来ない。――待つこと二時間、ようやく廊下を歩く足音が聞こえてきて目の前のドアが開く。 「なんだ、ここに居たのか?」 「零士先生……」 「遅くなって悪いな。帰り際、急な来客があって電話できなかった」 いつもと変わらぬ優しい笑顔。涼し気な瞳が私を見つめている。それだけで涙が出そうになった。そんな私の様子に気付いたのか、零士先生が「何かあったのか?」と真顔で近付いてくる。なので、思わず聞いてしまった。 「私、零士先生の彼女ですよね?」 「なんだいきなり? 俺はそのつもりだが?」 至って冷静に答える彼に、意を決してあの疑問を投げ掛けてみる。 「……環ちゃんの父親って誰ですか?」 一瞬、零士先生の動きが止まり、涼し気だった瞳が何かを警戒るすような鋭い目つきに変わった。 「それを知ってどうする?」 正直、怖かった。零士先生を怒らせて嫌われるんじゃないかと体が震える。でも、このまま曖昧にする方がきっと辛い。 「噂を聞いたんです。環ちゃんが零士先生の娘だって噂を……お願いです。本当のことを話してください」
/237ページ

最初のコメントを投稿しよう!

2795人が本棚に入れています
本棚に追加