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「起きたか」
「んっ……」
薄暗い視界をゆっくりと開いていく。自分の部屋、寝室だ。見慣れた天井にほっとする間も無く、隣から響く声にびくついた。
さっきの男の声だ。甘く落ち着いた声。
慌てて体を起こして後ずさると、自分の部屋まで移動してきたのだとわかる。
しんとした部屋は出て行った時と同じままだった。……隣にこの男がいること以外は。
「ここ……どうして……」
「悪いと思ったが、外にも置いておけないからな。財布を見た。鍵も貸してもらったぞ」
「っ……」
ぐっと後ずさり、へッドボードにまでたどり着く。相手の姿からは「耳」はなく、尻尾もない。黒のカットソーをきた長身の男は……どこからどう見ても、ただの「人」であった。
「そう警戒するな」
「っ、無茶いうな!」
「財布の中身は抜いてないぞ?」
「そういう意味じゃない!」
どこからが現実で、どこからが夢かわからない。
つきんと痛むこめかみを押さえ、操は、う、と口元に手をやった。嘔吐した後のような気持ち悪い味が残っており、思わず眉をひそめた。
記憶の中をたどっていくと、最後にこの男は「『これで』お前は俺の依り代だ」と言った。
依り代なるものが何かはわからないが、だまし討ちのように名乗らされたことは理解した。操は思わず相手の顔を睨みつける。
しかし、相手はその表情に、お?と意外そうな顔を返すのみ。それがまた腹立たしくて、お前なあ!と腹から声が飛び出した。
「お前……俺を騙したな!?俺を名乗らせただろう!?」
「騙したとは人聞きが悪い。自ら名乗ってもらわなくては契約がしにくいだけだ」
「ほら、騙してんじゃねえか!契約ってなんだ!?そんなもん不履行だ不履行!」
「ふむ?そうは言われてもな……」
相手にその自覚はないのだろうか、はてさて、とかわすようにして首をひねった男は、操の右手をひょいと取り上げ、愛しそうに撫でた。じっと見つめてくる瞳は、やはり左右の色が違う。先程よりは少し明るくなった中で見る男は、美しい髪と目をしていた。その熱っぽい視線にあてられて、操は思わず、う、と黙るしかない。
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