三国志蜀の中原制覇編(220年代

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◇  蜀が長安一帯を制圧し、函谷関に防衛隊を置いた。  守将に据えられたのは終始安定して功績を上げた仮節寇軍将軍督函谷関鐙芝。元の中監軍揚武将軍で、孔明先生の覚えが良い武将だ。  蜀へ大軍を送る最短の道を封鎖する関所、重要地点だけに判断力が高い人物が選ばれている。副将は同じく丞相側近から躍進した二人。  伏破将軍張嶷と破虜将軍馬忠、まだ二十代の若い張将軍はすでに武勇が轟いている。馬将軍は手練の政務官でもあるそうだ。  いずれ大官になるのは間違いないだろう面々だよ。 「力押しで函谷関を抜くのは十万の兵で一年かけても無理だろうな」  目先を南に移す、巴東の主将は建威将軍冷宇。最早定位置とすら言えるが、出身は長安周辺らしい。  永安の治府にも駐屯軍が居て、長江から軍船で遡上しない限りはやはり力で押すのは難しいはずだ。  蜀の東南部、巴東を含めての遊軍を設立した。その司令官は呉鎮軍将軍で、永昌郡に司令部を置き襲撃に備えている。息子以下の部将らも全てそのままで、権限だけを強くしていた。 「あいつならどうとでもするだろう。俺の補佐が減ったが、同時にやるべきことも減ったなら問題ない」
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