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第4章 Wの未練(2) 喫茶店(2)
「は、博士!」
夕夜も正木の後を追っていきたかったが――あの状態では何をしでかすかわからない――ウォーンライト一人にコーヒー代を払わせるわけにもいかない。
「ええと……とりあえず、僕が三人分のお金を出しますね」
夕夜は懐から財布を取り出して、きっちり税込分の金をテーブルに置いた。
「君も僕を軽蔑したかい?」
締まった口元に、ウォーンライトは苦笑を滲ませた。
「僕には何とも言えません」
返事に困り、夕夜も苦笑した。
「ただ、これでクリスマスはつぶれたなと思いました」
「それはすまないことをしたね」
軽くウォーンライトは笑った。
この男の笑い方は快活で、見ていて気持ちがいい。実のところ、夕夜はこの男にそれほど悪感情は持っていなかった。一時は正木と恋人同士だったというのも素直にうなずける。
「夕夜君。もしよかったら、少し僕と話をしてくれないか」
ふとウォーンライトは真面目な顔になった。
「本当は勝負前に君に会うのはフェアじゃなかったが……会ってわかったよ。僕は君には勝てない。勝負の結果はもう目に見えている」
「若林にではないんですね」
夕夜はウォーンライトの向かいの、先ほどまで正木が座っていた席に腰を下ろした。
「これほど若い頃のガイにそっくりなのに、なぜ誰も気づかないのか、僕にはまったく理解できないよ」
ウォーンライトはおどけたように笑って、両手の手のひらを広げてみせた。
「きっと、その前に別のことを勘繰るからでしょう」
穏やかに夕夜は答え、テーブルの上で両手を組んだ。
「もともと若林に僕を発表する気はなかったのです。そのつもりだったら、わざわざこの顔に作るはずがありません。しかもロボット工学関係者ほど、この顔の持ち主を知っているわけですからね。それにもかかわらず発表したのは、ひとえにこの顔のモデルの意志にほかなりません。彼はきっと、若林に名誉を与えてやりたかったのですよ。それと――誰かに見破ってもらいたかったのかもしれません。たとえばあなたのように」
「……やはり君はすごいよ。すごすぎる」
ウォーンライトは何度かかぶりを振って、軽く溜め息をついた。
「だが、それは若林の力ではない。君のその顔のモデル――ガイの力だ。彼の力があったからこそ、君は今の君でいられる。誰に何と言われようと、これだけは断言できる。若林一人の力では、とうてい君のようなロボットは作れなかったはずだ」
「その点に関しては僕も否定はしませんし、誰よりもいち早く若林自身が認めるでしょう。だからこそ彼は正木博士に協力を求めたのです」
「……ちょっといいかい」
ウォーンライトが怪訝そうな顔になって夕夜を遮った。
「なぜ君は、若林は〝若林〟と言うのに、ガイは〝正木博士〟と言うんだい?」
「ああ、それですか。それなら簡単です」
夕夜はにっこり微笑んだ。
「僕は、若林に作られたロボットだからです」
「……ブラボー。立派だよ」
さすがにウォーンライトは呆れたようだった。
「僕もあなたにぜひお訊きしたいことがあるんですが」
ここで夕夜は反撃に出た。
「僕だけでなく、美奈も若林と正木博士の共同製作です。まあ、作り方にいろいろ問題はありましたが。彼女も僕と同じように評価されますか?」
「君には申し訳ないが、僕は彼女にはほとんど興味がないんだよ」
ウォーンライトは困ったように太い眉をひそめてみせる。
「確かに彼女も優秀なロボットであるとは思うし、それはガイの力に負うところが大きいだろう。だが、彼女にはガイの感情までもが注ぎこまれている。彼女の願望はすなわちガイの願望。彼女は永久に若林の味方だし、逆に僕は永久に彼女の敵だ」
夕夜は感心して目を見張った。つい先ほど会ったばかりでそこまで見抜くとは、やはりこの男は並ではないのだ。
「それに……彼女は顔が若林に似ている」
しかつめらしい表情でウォーンライトはぼそりと言った。これには思わず夕夜は噴き出してしまった。
「わかりますか」
「わかるね。今まで誰もそんなことは言わなかったのかい?」
「ええ。正木博士以外は。僕も正木博士に言われて初めて気づいたくらいです」
「……そうか。道理でガイが彼女を可愛がるわけだ」
ウォーンライトは何度目かの溜め息をついた。その気持ちは夕夜にはよくわかるような気がした。愛しい男に似た面ざしの自分似の娘。なかなか倒錯的ではある。
「君は顔はガイにそっくりだが、中身は若林にそっくりだね」
いきなりウォーンライトはそんなことを言い出してきた。夕夜は驚いて思わず問い返す。
「僕がですか?」
「ああ、そっくりだ。いつもガイのことしか考えていないところとかね」
「……若林はともかく、僕はそうでもないと思いますが」
「そうかい? でも、僕にはそんなふうに見える。そして、すでにすべてを知っていながら、あえて黙っているようにも見える」
夕夜は無表情になった。それを見てウォーンライトは逆に表情をゆるめる。
「気を悪くしたのなら謝るよ。でも、これは僕の色眼鏡ではないと思う。若林はもうずいぶん前からガイの気持ちに気がついているし、彼もまたガイを愛している。だからこそ僕は不思議なんだ。若林はどうしてガイの気持ちを無視しつづける。ガイのことを思うなら、さっさと好きだと言ってやればいいだろう。僕ならすぐにそうするよ」
言い終えたときには、ウォーンライトはすっかり腹を立てていた。
そんな彼がとても微笑ましく思えて、夕夜はつい笑みをこぼした。
「結局、あなたも正木博士のことしか考えていないんですね」
「え?」
はっと我に返ってウォーンライトは赤面した。この反応の仕方は若林にも共通する。
「だってそれは、正木博士のほうから言ってもいいわけでしょう? 若林に似ている僕が若林の代わりに弁明しますが、彼には正木博士の存在は絶対で、決して失いたくないものなのです。正木博士が自分を憎からず思っていることはわかりますが、それがどういう種類の〝好き〟なのかは判然としません。もしかしたら単に共同研究者として〝好き〟なのかもしれません。ですから、下手にそんな告白などをして、あなたのように断られてしまったら、彼はもう二度と立ち直ることはできません。そんな危険な賭けをするくらいなら、彼は一同僚として正木博士とつきあいつづける道を選ぶでしょう。
これはたぶん、正木博士も同じだと思います。あんな性格をしていますが、相手に嫌われたくないという気持ちはきっと若林よりも強いでしょう。だからあなたが若林に昔の話をしたと知って、あんなに怒ったんだと思います。怒りが去った今頃は、ひどく落ちこんでいるんじゃないでしょうか。美奈が一緒ですから、彼女がうまく慰めてくれるとは思いますが」
「実に的確で見事な考察だ」
その正木にプロポーズを断られた過去を持つウォーンライト氏は、醒めた表情で称賛の言葉を述べた。
「それを要約すると、二人とも未だに小学生レベルの恋愛をしているということだね?」
「そこまで言いますか」
そう言いながらも夕夜は笑っていた。これには夕夜も異論はない。
「それで――夕夜君」
「夕夜でいいですよ」
「じゃあ夕夜。君はそんな二人の〝子供〟として、やはり彼らに一緒になってほしいと思っているのかい?」
「ええ、非常に」
心から夕夜はうなずいた。
「僕だけではなくて、美奈もそう思っています。ですから今朝はとても楽しかったですよ。まるで本当の〝家族〟のようで」
「〝家族〟?」
ファストフード店で三つ星レストラン並みの代金でも請求されたかのように、ウォーンライトは目を見張った。
「ええ。〝家族〟。――ロボットの僕がこんなことを言うのはおかしいですか?」
「いや。僕は君たちのことをロボットであってロボットではないと思っているからね。むしろ、君たちは本当にガイと若林の〝子供〟なのだと思う。君たちを見ていると、人間の子供以上に愛されて〝育った〟という気がするよ」
「――そうですね。確かに僕らはとても愛されて育ったと思います」
昔のことを思い出して、夕夜はふと笑った。
「特に僕はずいぶん二人を困らせたと思いますよ。何しろしゃべれるようになるだけで三ヶ月以上かかりましたから」
「三ヶ月? 君が?」
ウォーンライトは再び目を見張った。どんな人間型ロボットでも、しゃべるくらいならすぐにできる。
「起動したとき、僕の電脳の記憶素子はほとんど白紙だったんです」
穏やかに夕夜は言葉を継いだ。
「だから、僕は長い間、しゃべることも動くこともできませんでした。ただずっと部屋の一角に座って、外界からの情報を受容しつづけていました」
「それは、ガイがわざとそうしたんだね?」
ロボット工学者らしく、ウォーンライトが注意深く確認する。
「ええ、そうです。ロボット自身に〝自我〟を形成させてみたいと言って。でも、いつまでたっても僕がうんともすんとも言わないので、二人とも一時は失敗したかと思ったそうです。
その頃のことを、僕はなぜかとてもよく覚えています。正木博士が毎日僕の名を呼んで、僕に話しかけてきました。そして僕が何の反応も示さないのを見ると、いつも少しだけがっかりしたような顔をしました。若林は主に僕の体の調整をして、正木博士ほどには話しかけてはこなかったのですが、それでも時々祈るように、『頼む、動いてくれ』と僕に言いました。『頼むから、正木を喜ばせてやってくれ』と。
僕だって、動きたくなくて動かなかったわけじゃないんです。ただ、動き方を知らなかった。二人のことも最初は人間であるということさえわからなかったのですが、だんだん時が経つうちに、この二人が僕に何らかの〝反応〟を期待しているということはわかったんです。僕は二人の期待に何とか応えてあげたいと思いました。こんなに毎日一生懸命話しかけてくれるのに、何もできない自分が、ひどく申し訳ないような気がしたんです。
何をもって〝自我〟というのか、正直言って僕にはわかりません。ただ僕は、二人を喜ばせてあげたいと思って言葉を発しました。案の定、二人はとても喜んでくれて、僕が〝私〟という一人称を使うとさらに喜びました。これが僕のルーツです。あの二人を喜ばせるためになら、僕は何でもするでしょう。場合によっては、殺人も辞さないかもしれません。
僕は僕の前で楽しそうに語らっていた二人のことをよく覚えています。だから、またあの頃のように僕らが一緒に住むようになるのが、あの二人にとっての最上の形であると思っています。その障害となるものは、できるかぎり排除していくつもりですよ。僕らはあの二人を幸福にするためだけに生まれたのだから」
終始一貫、夕夜は柔らかに微笑みつづけた。
しかし、ウォーンライトの表情はしだいにこわばっていき、やがてそんな自分に気がついて、口元に苦い笑みを刻んだ。
「君は本当にロボットなのかい?」
「ええ、そうですよ。そうでなくて、何だと言うんです?」
「わからない。だが、君は他のロボットたちとは明らかに次元が違う。自発的自我形成のアイデアは、以前ガイから聞いたことがあるが、まさか君がその実験体だとは思わなかった。君がそうだとすると、美奈ちゃんもそうなのかい?」
「いいえ。美奈は通常のロボットと同じように、起動前にすべてのプログラムが入力されました。でも、正木博士いわく〝丹精こめて育てた〟プログラムだそうですから、僕の場合とそう大差はないと思います」
「なるほどね。ボディがあるかないかの違いだけというわけか。ところで――少し気になったんだが」
ウォーンライトは咳払いを一つして、居ずまいを正した。
「その……もしかしてガイは、君を育てている間、若林の家に住んでいたのかい?」
「はい」
はっきりと夕夜がうなずくと、ウォーンライトは何とも言えない情けない顔になった。
「でも、本当に住んでいただけですよ」
ウォーンライトが何を想像したのかわかって、夕夜はくすくすと笑った。
「あの頃、正木博士は僕のことにかかりきりで、はっきり言って若林のことは二の次でした。だいたい、その頃にあなたが危惧しているようなことがあったとしたら、今も〝小学生レベルの恋愛〟をしているはずがないでしょう?」
「そ、そう言われてみたらそうだね」
露骨にほっとしたようにウォーンライトは笑った。まったく見こみがないとわかっていても、まだまだ正木に未練があるらしい。というより、若林と正木が〝小学生レベルの恋愛〟をしているから、いまだにすっぱり思いきることができずにいるのだろう。
夕夜たちにとって、このウォーンライトは、今朝のような時間をもう二度と過ごすことができないようにしてしまうかもしれない〝敵〟だった。
しかし、だからと言って、美奈のように単純に憎むこともできない。夕夜には、正木にプロポーズを断られてもなおあきらめきれないウォーンライトの気持ちが、とてもよくわかるような気がしたのだ。
おそらく、若林も理解したからこそ、あえてまたこんな勝負を受けたのだろう。正木に思いを寄せていると言う点で、彼らは〝同志〟だった。
ただし、その正木の心は完全に若林のほうにある。その点において、夕夜はウォーンライトに深く同情する。
「では、僕はそろそろ正木博士の回収に行かないと」
夕夜は自分の腕時計を見た。もうすでに昼近くになっている。
「ああ、引き止めてすまなかったね。でも、君と話ができてとても楽しかった。――夕夜。君たちにとって僕は迷惑きわまりない存在だろうが、君たちにとってガイがかけがえのないものであるように、僕にとってもガイは決して失いたくないものだったんだ。僕はいくら憎まれてもいい。その覚悟はしてきた。でも、せめて君にだけは、そのことを知ってもらいたかったんだ」
「わかっていますよ」
優しく夕夜は微笑んだ。
「そして、おそらく若林もわかっているでしょう。――彼はあなたをなじりましたか?」
「一言も」
ウォーンライトは自嘲めいた微笑を浮かべて答える。
「ほんとはね、それで負けたと思ったんだ。彼が怒るか、僕の申し出を突っぱねるかしてくれれば、まだ僕にも勝ち目はあった。――おかしいかい? 勝ったとしても得るものは何もないのに、こんな勝負をするなんて」
「いいえ。とても素敵なことだと思います」
ウォーンライトは驚いたように夕夜を見た。
夕夜は変わらずにこやかに微笑んでいる。
「ガイなんかやめて、君に乗りかえようかな」
悪戯っぽくウォーンライトが笑う。しかし、夕夜はまったく動じなかった。
「それでは、正木博士からその許可をもらってください。正木博士がうんと言えば、若林も反対はしないでしょうから」
「……やっぱりやめておくよ」
「それが賢明です」
「あ、このお金は必要ないよ。僕が全部払っておくから」
通路に出ようとした夕夜に、ウォーンライトはテーブルに出したままになっていた金を押しやった。
「そんな……」
「いや、もともとこっちが勝手に押しかけたんだからね。そのお詫びだよ。そのお金はもっと有意義なことに遣いなさい。たとえばガイの軍資金のたしにするとかね」
そう言って、茶目っ気たっぷりにウィンクしてみせる。
夕夜は笑顔を作るのも忘れて感心してしまった。
正木は落ちこむと(もっとも、そのこと自体めったにないのだが)、ヤケ食いならぬヤケ買いをするのである。しかも、その買い方ときたらめちゃくちゃで、あるときは一着何万もする女物の服を大量に買い、またあるときは店の片隅で何年も埃を被りつづけてきたようなCDを山ほど買いこんだ。そんな正木の悪癖を、このウォーンライトは知っているようなのである。
「どうして正木博士はあなたと別れたんでしょうねえ……」
ついしみじみそう言うと、ウォーンライトは深い溜め息を吐き出した。
「それは僕も知りたいよ。僕の何が不満だったのか。でも、何で僕とつきあってくれたのかはわかる」
「どうしてです?」
「初めてこのことに気づいたとき、僕はとても悲しくなったよ。――僕が少し若林に似ていたからだ」
夕夜は必死で笑いをこらえようとしたが、我慢しきれず、テーブルに突っ伏してしまった。
「そんなにおかしいかい?」
さすがにウォーンライトも不愉快そうに夕夜を見やる。
「いえ、その……」
何とか笑いを収めて、夕夜は顔を上げた。
「正木博士が言っていましたが、あなたは本当に勘のいい人ですね。きっと、だから正木博士はあなたと別れたんですよ」
「そうかなあ……とにかく、ガイは何でも若林中心なんだ。あのとき急いで帰国したのも、あの例の〝桜〟計画で若林と組めると聞いたからだ。結局、本命がよかったんだよ。そういう男なんだ、ガイは」
いじけたようにウォーンライトは言いつのる。それに同情するより先にまた笑ってしまいそうになり、夕夜はあわてて口元を引きしめた。
「やっぱり、このお金は置いていきます。どういう結果になるかはわかりませんが、僕はあなたの幸福も祈っていますよ」
「……ありがとう」
はにかむようにウォーンライトは笑った。
悪い男ではないのだ。むしろ善人である。
だが、夕夜たちを作ったのは正木とこの男ではなく、正木と若林だった。
それでも、夕夜は心から本当にこの男にも幸福になってほしいと思った。もしかしたら、夕夜がそう思うのも、この男が若林に似ているせいかもしれないけれど。
「では、遠慮なく頂いておくことにするよ。二十四日にスリー・アールの会場でまた会おう」
「ええ、また」
夕夜は笑みを返すと、今度こそ席を立った。
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