第6章 Yの憂鬱(2) ファミレス(2)

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第6章 Yの憂鬱(2) ファミレス(2)

 若林と正木の食べ方は対照的である。  若林が姿勢を正して一口一口味わうように食べるのに対して、正木は前かがみにこそならないものの、せかせかと箸を運ぶ。  その食べ方のスタイルの差はおのずと食事時間に表れ、若林がようやく半分食べ終えたときには、正木はすっかり冷めきったコーヒーに再び手をつけていた。  アイスティーを三分の二くらいまで飲んだ夕夜は、自分の向かいの席に座っている若林と美奈とを見るともなく見ていた。  この二人が並んで座っているのを見るのは、これが初めてのような気がする。家では美奈は自分と並んで若林の向かいに座っていたし、今朝は若林の隣には自分がいた。  こうして改めて若林と美奈とを並べて見ると、やはり似ていると思う。そう考えたとき、この席順は顔の似た者同士が隣りあっているのだということに気がついた。若林には美奈、正木には自分というように。  もともと少なかった杏仁豆腐の汁を飲みきって暇そうにしている美奈は、兄弟機である自分の目から見ても美しい女性型ロボットである。年齢設定は一応自分と同じ二十歳らしいのだが、自分よりも大人っぽい外見をしているので、もっと上くらいに見える。ただし、それは黙っていればの話で、いったんしゃべり出すと高校生よりも幼くなる。彼女の場合、外面(がいめん)内面(ないめん)のギャップがすごくある。  一方、若林は、絶世の美男というほどではないが、日本のロボット工学者としては稀有なほど整った顔立ちをしている。細面で、目は幾分きつく、唇は少し薄い。この顔を正木はすごく気に入っていて、若林がよそ見をしているときになど、よくうっとりと眺めていた。  ちなみに、これと同じことを若林も正木に対してしていた。ただし、正木の場合には、若林と同じことをした人間が山ほどいる。  また若林は日本の研究者としても珍しく、一九一センチメートルという長身の持ち主でもあった。正木はこれにもすごく惹かれていて、特に若林が白衣やコートを着ているときなど、しごくご満悦の様子だった。なお、正木の身長は一八三センチメートルある。  そんな美奈と若林に共通するものといえば、漆黒の髪と少々きつい黒目がちの目か。  顔立ちもけっこう似ているのだが、何しろ男と女だから、ぱっと見ただけではわからない。でも、二人とも冴えた感じの落ち着いた雰囲気を持っているから(もちろん美奈は黙ってさえいればだが)、年の離れた兄妹と言っても充分通用するだろう。  では、自分と正木の場合はどうか。  夕夜は、美奈から汁なしの杏仁豆腐を奪いとって食べている隣の正木に目を転じた。  正木こそ、黙ってさえいれば絶世の〝美女〟である(ただし、大女だが)。  何の手入れもしていないのにサラサラの栗色の長い髪。男にしては細い眉に、婀娜っぽい切れ長の目。繊細な鼻梁に、小さめの赤い唇。もう三十も半ばに達したのに、彼は下手をするとまだ二十代前半に見える。  日本人にしては顔も小さく、手足も長い。細いが決して華奢ではなく、ばねがあってしなやかだ。  昨晩、若林を寝室に運んだときも、ほとんど正木が一人で担いで引きずっていったようなもので、夕夜は万が一落ちないようにもう片方から支えていただけだ。若林によると、正木は何かの武道の段も持っているらしい。  だが、夕夜は知っている。若林の見えないところでは、顔色一つ変えずにビールビンの蓋を指先で剥ぎとったこともある正木が、ねじ式のビンの蓋を固くて開かないと言って、わざわざ若林に開けさせたことがあるということを。  その点でもそうだが、正木ほど外見を裏切る人間はいない。頭はよすぎるほどいいのだが、口が悪くて、怒りっぽくて、行儀もいいとは決して言えない。彼の顔だけを見てにやにや近づいてきた男が、正木の第一声を聞いたとたん、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして逃げていくのを、若林は何度も目撃したそうである。  しかし、その一方で、正木は照れ屋で、誠実で、情に厚い。いいかげんな人間は相手にもしないが、真剣な人間には真剣に対応する。  夕夜には、この正木という存在に若林が十七年も魅せられつづけている気持ちがよく理解できる。確かにこんな人間は滅多にいない。この世に存在していることのほうが奇跡だ。  だからまた、その奇跡が自分に恋しているなんて気づいてはいるけれど信じられない若林の気持ちもよくわかるのだ。夕夜の中身は若林に似ているとウォーンライトが言ったのもそのへんにあるのだろう。  夕夜は他人がよく勘繰るように、若林が正木の代替物として自分を作ったとは思っていない。あの正木に替わるものなどないことを、若林自身がいちばんよくわかっていると思うからだ。  だが、顔が似ていることだけは動かせない確かな事実である。まったく知らない他人の目には、自分たちはよく似た兄弟として映っているに違いない。  そうすると、自分たち四人全員は、どのような関係に見えるのだろう。  兄妹一組と兄弟一組? ではこの二組の関係は? 兄同士が知り合いで、それにそれぞれ妹と弟がついてきた? あるいは従兄弟同士? 親戚同士? それともこの四人全員が兄弟? 若林は年より老けて見えて正木は逆に若く見えるから、それもまあ見えないこともないかもしれない。ただし、美奈と自分のどちらが年下に見えるかは微妙だが。  昼になって、店内はにわかに混みはじめてきていた。  平日なので、客は昼休み中の会社員が多い。  しかし、彼らも店員たちも、きっと考えもしていない。  自分たちが〝家族〟であるとは。 「いいなー。二人とも食べられてー。私も食べられるようになりたーい」  黙々と食べつづける若林を、美奈はふと羨ましそうに見上げた。 「ロボットが食べてどーすんだよ。後で吐くのか?」  そんな美奈を、正木がさも馬鹿にしきったような目で見やる。 「そうだな。食物を動力エネルギーに変換するのはやっかいだし、わざわざそうするメリットもない」  若林がロボット工学者らしい言葉で、正木の身も蓋もないセリフを補足する。 「うー。じゃあ、私はずっと砂糖水しか飲めないのね?」 「まあ……今のところは」 「いーや。美奈。ほーら、ただの水も飲めるぞぉー」  正木がにやにや笑って、美奈の鼻先にコップを突きつける。 「いいわよ。飲んでやるわよ」  美奈は怒って正木からそのコップを奪いとると、一気に飲み干してしまった。 「おお、いい飲みっぷりだ。――なあ、若林。こいつ、アルコールならいけるんじゃないか?」 「それはちょっとまずいような……」  楽しげにそんな会話を交わす三人は、他人に自分たちがどう見えるかなどまったく気にかけたふうもない。夕夜は自分を恥じると共に、深い安堵を覚えて笑みをこぼした。  他人からどう思われようとも、自分たちは一つの〝家族〟なのだ。
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