第10章 Mの幸福(2) 駐車場(1)

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第10章 Mの幸福(2) 駐車場(1)

「まーちゃん、なかなか来ないねー」  そろそろ待ちくたびれてきた美奈が、助手席の頭部を後ろから抱えたまま言った。髪型や服装はすでに普段のものに戻っている。  窓の外はもうすっかり闇に沈みこんでしまっていて、その中で明るく浮かび上がっている空港は、まるで蝋燭に火を灯されたクリスマスケーキのように見えた。  きっとあの光も、ちょっと何かが起こったら、たちまち消えてしまうのだ。 「もしかして」  美奈の退屈しきった顔に、ふと悪戯っぽい笑みが浮かんだ。 「やっぱりウォーンライトがよくて、一緒に飛行機乗っちゃってたりして!」 「美奈ー」  その隣にいた夕夜が冷ややかにたしなめる。彼も美奈と同様、普段の服装に戻っていた。 「だってー、わざわざ見送りにいくなんて、やっぱり怪しいじゃなーい。若ちゃんにとっては大迷惑だったのにさー。……若ちゃんも! 何で止めなかったのよ!」  美奈は今度は運転席にいる若林にからみはじめた。 「止めるって……そんな権限、俺にはないし……」  いきなり水を向けられて、若林はしどろもどろになった。彼ももう普段着である。うちに帰ってから真っ先に着替えた。 「若ちゃん以外に誰がそんな権限持ってるのよ! 若ちゃん、まーちゃんのダンナさんでしょッ!」  若林の相変わらずの弱腰に、美奈はいい退屈しのぎが見つかったとばかりに彼を責め立てる。 「いや、まだ結婚してないけど」  一応そう断ってから、若林は穏やかに言葉を継いだ。 「でも、俺は正木を縛るために結婚するんじゃないよ。正木を自由にしてやりたいから結婚するんだ。おまえの言うとおり、俺が何も言わなければ、誰にもあいつを止める権限はないからな」  美奈はきょとんとした顔をして若林を見つめていたが、不満そうに眉をひそめた。 「何か、若ちゃんだけが損してるみたい」 「そうか?」  若林は思わず笑った。確かに外から見たらそう思えるかもしれない。 「でも、自由じゃない正木なんて、正木じゃないじゃないか。俺は自由な正木が好きだから正木を自由にしてやりたい。ただそれだけだよ」 「だからって、まーちゃんがウォーンライトんとこに行っちゃったりしてもいいの? 止めたりしないの?」  化粧を落としてもなお赤い唇をとがらせて美奈が言う。  若林は少し考え、口を開いた。 「それが正木の意志なら。でも、正木は行かないよ。ちゃんと戻ってくるよ」 「どーしてそう言いきれるのよ? そんなに自分に自信があるわけ?」  これには若林も苦笑するしかなかった。 「いや、自信はないけど……でも、戻ってくる」  自信はないと言いつつ、若林は断固たる口調で言いきった。 「矛盾してる」  美奈が鋭くその点を突いたときだった。  それまで黙って二人のやりとりを聞いていた夕夜が、ふと気がついて顔を上げた。だが、ほぼ同時に二人も気がついたようだ。  駐車している車の間を縫って、白い人影が一人、寒そうに肩をすくめてこちらに向かって歩いてきていた。  やがて、その人影はあの美しい男の形をとり、白い息を吐きながら、助手席の窓を照れくさそうにノックしてきた。 「ほら、戻ってきたろ?」  得意げに若林が夕夜たちを振り返る。  夕夜たちは互いの顔を見合わせると、当てられたような苦笑を漏らしたのだった。
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