第2章 Wの悲劇(3) 回想(2)

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第2章 Wの悲劇(3) 回想(2)

 その日を皮切りにして、正木はあの今では慣れっこになっている乱暴な言葉遣いになった。そうすると、不思議なことに、今まで滞っていた仕事が順調に進み出した。  正木は次々と斬新なアイデアを出し、若林にはその現実化を要求した。それは俺には無理だと訴えても、正木はまったく耳を貸さない。あの切れ長の澄んだ目で若林を見すえ、おまえならできる、できないことは要求しないと繰り返すだけだ。  正木との仕事はやりやすい反面、妥協がないので厳しかった。少し手を抜こうものなら、正木はそれを敏感に見抜いて責めてくる。あの頃は共同で何かをしているというより、戦っているかのようだった。  だが、それは互いの能力に信頼をおいているからこそできることだった。若林は正木の期待に応えるべく必死で何度も設計をやり直し、ようやく両者ともに満足できるものが出来上がったときには、丸一日死んだように眠りこんだ。  日本初の人間型ロボットともいうべき〝桜〟は、そうやって設計され、チームの手を借りて現実のものになった。  〝桜〟の桁はずれの精巧さは一台旋風を巻き起こし、K大は一躍人間型ロボットのメッカとなった。その〝桜〟は今、K大ロボット研究センターの奥深くで眠っている。  しかし、若林には〝桜〟はまだまだ納得のいくものではなかった。自分たちの設計の半分も実現されていないと思った。  ――それならば、今度は自分一人の手で、より完璧なものを作ってやろう。  若林は、自宅で一体のロボットを作りはじめた。  途中まではうまくいっていた。が、やがて彼はソフト面で行き詰まってしまった。  誰かその方面の優秀な協力者が欲しい。そう考えたとき、若林の頭に浮かんだのは、正木の名前だけだった。  当時、正木も若林もまだ講師だった。お互い忙しかったし、若林は大学側にはいっさい知らせず、個人で作りたいと考えていた。  だから、若林は正木に協力を申しこむのをずいぶん長いことためらっていたのだが、ある日、正木と立ち話をしていたとき、ついに覚悟を決めた。 「頼みがあるんだ」  帰りかけていた正木を呼び止めて、若林は言った。  緊張していたので、つい声が大きくなってしまった。  そのせいか、正木はひどく驚いた顔をして彼を振り返った。 「頼み?」  信じられないとでも言いたげに、正木が目を見張る。  確かに、若林が正木に対してこんなことを言ったことはほとんどなかった。その逆ならかなりあったが。 「あ、ああ……その……とても言いにくいんだが……」  切り出しはしたものの、いざとなるとやはり気後れしてしまって、若林は正木から視線をそらせて頬を掻いた。 「何? 何でも言えよ。俺、口は堅いから」  驚いたのも束の間、正木はすぐに嬉しそうな顔になって、若林の近くに寄ってきた。 「そうか……そうだな。じゃ、言うが……」  若林はようやく正木に目を戻した。  正木は珍しく真剣な表情で、彼の顔をじっと見つめている。  あわてて若林はまた視線をそらせた。 「その――俺と一緒に……」  なぜか、どぎまぎしてしまう。 「うん」  そのままの表情で正木が深くうなずく。  若林は吐き出すように言った。 「ロボット――作らないか?」  ――沈黙が落ちた。  あまりに単刀直入すぎたかと若林は後悔したが、おそるおそる正木の反応を窺ってみると、彼はいったい何を言われたのかわからないようにきょとんとしていた。よほど予想外のことだったらしい。 「あ……別に無理にとは……!」  正木の沈黙を困惑ととって、若林はあわてて言った。もとより断られるのは覚悟の上だ。 「いや……それはいいんだけど……」  それでもまだ納得しかねているように、正木は首をかしげた。 「それだけか?」 「は?」  今度は若林がぽかんとする番だった。 「それだけかって……ああ。まあ、それだけだよ」 「――何だ。それだけか」  そう言うと、正木はいきなり不機嫌そうな顔になって、そっぽを向いてしまった。 (〝それだけ〟?)  若林は首をひねった。  なぜ正木がそんなことを言うのか――しかも怒ったように――彼にはよくわからなかった。  正木はいったいどんな頼みごとをしてくると思っていたのだろう。ふとそれを訊ねてみたい衝動に駆られたが、訊ねたが最後、何か恐ろしい答えが返ってきそうな気がして、いま自分が早急に知りたいことのほうを訊ねた。 「結局――どうなんだ? 引き受けてくれるのか? おまえが協力してくれるんなら、きっと桜以上のものが作れると思うんだが……」 「いいよ」  形のよい眉をひそめたまま、しかし、即座に正木は答えた。 「その〝いいよ〟ってのは……」  念のため、そう確認しようとすると、正木はキッと若林を睨んだ。 「〝喜んで協力させていただきます〟って意味だよ! そこまで言わなきゃわかんねえのかよ! だいたい、たったそんだけのこと言うのに何であんなにためらうんだ? んなの、全然たいしたこっちゃねえだろうが! まったく、いつもいつもまぎらわしいことしやがって! 期待して損した!」 「期待って……」  突然切れた正木に辟易しながら、若林は半ば反射的に問い返した。 「そりゃ……!」  と、正木は怒鳴り返そうとしたが、はたと正気に返って、少しだけ頬を染めた。 「何でもない」  その様子を見れば明らかに〝何でもない〟はずがなかったが、若林はあえてそれ以上は訊かなかった。  ――もしロボットが完成しても、それはおまえ一人で作ったことにしてくれ。  協力を承諾するにあたって、正木はそんなことを言ってきた。  もしかしたら、自分に協力したと周囲に知られることが嫌なのだろうかと思ったが、若林ならともかく、正木は周りのことなど気にする質ではない。とにかく、それさえ守れば正木は協力してくれるのだ。若林は不可解に思いながらも、その条件を呑んだ。  こうして始まった二回目の共同製作は、〝桜〟のときよりも気楽でやりやすかった。  この日までにどうしても仕上げなくてはならないという義務感がなかったせいかもしれない。若林も正木も、まるで新しいプラモデルを組み立てようとしている子供のように、夢中でその作業に没頭した。  だが、この研究はあくまでも、二人だけの秘密だった。  たとえ徹夜で機械いじりをしていても、翌朝には大学に出て講義をしたり、また別の研究をしたりしなければならない。  あの当時のことを振り返ると、よくもまああんな無茶ができたものだと感心してしまう。あれも若かったからこそできたことだろう。今あのときと同じことをしろと言われても、絶対できそうにない。  製作は当然のことながら、若林の自宅で行われた。  作業中は正木は有能な共同研究者であって、若林も意識しないで対応することができた。  しかし、中休みをするときや夜食をとるときなど、いったん仕事から離れてしまうと、とたんに何だか気恥ずかしくなってしまって、若林は非常に困った。  正木もまた、まめにキッチンに立って、コーヒーを入れたり、夜食を作ってくれたりするのだ。しかも嬉しそうに。  若林は製作上のことより何より、正木のその姿にいちばん苦悩した。いったい正木は自分のことをどう思っているのだろう。  少なくとも、嫌ってはいないらしいことはわかる。しかし、それは自分のロボット工学者としての能力を買ってくれているのであって、それ以上ではない。  だってそうだろう。あの正木が自分のような凡庸な人間(若林の比較基準はいつでも正木だった)、しかも男に恋愛感情を抱いているなどという、そんなバカなことがあるはずがない。  ――若林の不幸は、自分の感覚よりも、思いこみのほうを信じてしまうところにもあった。  何はともあれ、ロボットの製作だけは着々と進み、そして、正木の協力を得てから約一年半後、二人が持てる力のすべてを注ぎこんだロボットが、ついに完成した。  のちに〝人間型ロボットの最高傑作〟と言われる〝夕夜〟である。  〝夕夜〟という名前は正木がつけた。主に〝夕方〟から〝夜〟の間に作られたからだそうだ。  しかし、夕夜の場合、完成してから今のようになるまでに、半年近くかかった。  最初、夕夜は歩くことさえできなかった。――歩行に関するプログラムを入力していなかったからである。  完成後、正木はまず夕夜をリビングの一人掛けのソファに座らせ、しばしば彼の名前を呼んだり、彼に話しかけたりした。夕夜に〝夕夜〟という自分の名前を覚えこませ、呼ばれたらすぐ返事をするようにしようとしたのである。正木はそれすらも夕夜に入力していなかった。  だが、夕夜はいつまでたっても何の反応もしなかった。ただ無表情に聞き流しているだけだ。  あの頃の夕夜は綺麗なだけの人形だった。自分一人では動けないし、こちらの言うことにもまったく反応しない。正直言って、自分たちは失敗したのではないかと若林は思った。  しかし、正木はあきらめなかった。今考えると恐ろしいことに、大学を休んで若林の家に住みこむことまでした。  この頃の正木は夕夜のことしか眼中になかったので、若林としては製作中のときよりも正木との関係に悩まずに済んだ。  とは言うものの、家に帰ると正木がいるというのは、ついつい若林にあらぬ連想をさせた。ことに食事の用意などされていると、若林は泣きたいような笑いたいような複雑な気分にさせられたものだ。 「もう書き込みしたほうがいいんじゃないか?」  いつか、若林はそう言ったことがある。 「駄目だ。それじゃ何にもならない」  正木は即座に答えた。 「俺は、どうしても夕夜自身に自我を形成させてみたい。もしかしたら、こいつはこの先ずっとこのままかもしれないけど、そうなったときは俺の力不足だ。それだけの責任はとる。でも、若林。もうちょっとだけ待ってくれないか。もうちょっとだけ……そうすりゃ何かしらの結果が出ると思うんだ……」  正木にそう言われて、否と言えるわけがない。以後、若林はその話題を口にするのはやめた。  だが、完成してから三ヶ月が過ぎても、夕夜は何の変化も見せなかった。  さすがにこの頃には正木もあきらめの色を隠せなくなってきていた。が、それでも夕夜に話しかけることだけはやめなかった。  そんなある夜のことだった。  その夜は特に早急にしなければならない仕事はなかったので、リビングのテレビで正木と一緒にクイズ番組を見ていた。  最初は遊びで答えを言い合っていた。両者ともよく当たったが、やはり正木のほうが強かった。  学問上のことでならともかく、こんなクイズでまで正木に負けるのは悔しい。若林はしだいに真剣になった。  あるとき、若林が言った答えが正解と微妙に違っていた。しかし、若林自身は正解どおりに言ったと思っていて、それで正木と言った言わないの言い争いになった。  正木は正誤をはっきりさせたがる質である。苛立って、つい傍らの夕夜に向かって叫んだ。 「夕夜! 確かにこいつ、そう言ったよな!」 「はい」 「ほらみろ、そう……」  得意げにそう言おうとして、正木ははっと我に返った。二人同時に夕夜を見る。  夕夜はいつものように無表情で、黒いレザー製のソファに埋もれるように座っていた。 「夕夜……?」  もう一度、探るように正木は呼んだ。 「はい」  平坦だが、確かに夕夜はそう答えた。  正木と若林は、先ほどまで言い争っていたのも忘れて、互いの顔を見合わせた。  このとき、二人は初めて夕夜の声をテスト以外で聞いた。  夕夜は正木をモデルとして作られたので、声もやはり正木のものとよく似ていた。 「夕夜」  今度は若林が呼んだ。 「はい」  これにも夕夜ははっきりと答えた。だが、目は前方のどこか一角を見すえたままである。 「おまえ……俺が何て言ったのか、覚えてるのか」 「はい」 「何て言った?」 「モホロビッチ不連続面」 「正解は?」  これは正木が訊ねた。 「モホロビ()ッチ不連続面」  二人はまた互いの顔を見合わせ――同時に奇声を上げた。 「若林若林若林ッ!」  狂ったようにそう叫んで、正木は若林に飛びついてきた。  今なら硬直してしまうだろうが、このときはとにかく嬉しかったので、若林も自然に正木を抱きしめ返すことができた。 「正木! やったな! おまえの苦労が、やっと報われたな!」 「バカヤロー! てめえだってさんざ苦労してんじゃねえか! 苦労の量は一緒だろ!」  もうクイズの勝敗などどうでもよかった。二人で抱きあって、涙が出るほど笑っていた。  そんな彼らを、夕夜は相変わらず無表情に眺めていた。  が、二人の喜びがようやくおさまってきたのを見計らったように、今度は自分から口を開いた。 「〝私〟の答えは間違っていましたか?」  二人はまた無言で互いの顔を見合わせ――  また新たに喜び直さなくてはならなくなった。  あれから五年。  その間に、若林と正木はそろってK大史上最年少の教授となったが、正木は突然K大を辞職して、若林の前からその姿を消してしまった。  ところが、つい先日、若林は期せずして〝夕夜〟に続き〝美奈〟を正木と共同製作(と言っては少し語弊があるが)することとなり、それがきっかけとなって、正木とも数回だけだが会うことになった。  仕事抜きで正木と会うのは未だに少し怖い。正木もK大を辞職してからは、露骨に自分を避けているような気がする。  だが、ともにK大に入学してから十六年、ほとんど毎日のように若林は正木を見てきたのだ。  口には決して出さなかったが、若林はずっと正木に会いたかった。会ってあの顔を見、あの声を聞き、あの体を抱きしめたかった。あのときのように。  しかし、普段乗らない車をもっか必死で飛ばしている若林の頭からは、昨夜その正木に久方ぶりに会ってしっかりそれを実行したことはもちろんのこと、あまつさえ今朝には飯までよそってもらったことなど、もうすっかり抜け落ちてしまっていた。
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