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俺は震える声で彼女の言葉を遮った。
「ちょっと待てや。耳なんて…あほやな、今こうやってしっかり聞こえてるやん。何処が悪いねん」
俺はひきつった笑みを浮かべた。できることならこのまま笑い飛ばしてやりたかった。でも、それは許されなかった。
「うん。この距離で1対1やったら大体、平気やねん。先生の話も声が大きいから聞こえてる。でも遠くから呼びかけられたり、休み時間みたいに大勢があちこちで喋っている中やと、聞こえにくい時がある」
「…」
「あんまり自覚は無いんやけどな。でも学校でも隣の席の子にも『無視せんといてよ』って言われたことあるし、やっぱり聞こえてへんみたい」
だから、最近はみんな、用事があると指で突っついてくれるねんで。
彼女は笑って誤魔化したが、俺はもちろん一緒になんて笑えない。
耳が聞こえにくいなんて…駄目だ。まだ信じられない。
ホームに千代田行きの普通電車の到着を告げるアナウンスがあった。
それじゃあ、彼女にはこれも聞こえづらいのだろうか。電車の入ってくる音は?ドアの開く音は?あぁもう。俺にはばっちり聞こえているんだから、どういう状況なのかさっぱり分かんねぇよ。
到着した電車に乗った。電車の中もいろんな音で溢れている。車輪が回る音、車両がきしむ音、それに周りの誰かがしゃべっている声。
これらが全て無くなったら、俺はどうなるんだろう。
次の到着駅を知らせるアナウンスが分からなかったら、慣れ親しんだ高野線ならともかく、例えば南海本線だったらちゃんと目的の駅で降りられるんだろうか。人身事故で遅延している連絡はどうやって受け取る?踏切での警報音が聞こえなかったら…
「でも大丈夫やで。最近の補聴器は性能もいいらしいし」
俺があまりに衝撃を受けているものだから気を遣ったのか、彼女は妙に明るい声を上げた。
「雑音も少ないから、聞こえやすいんやって」
「補聴器をつけるん?」
「今の聴力を考えると、それもありかなってお母さんが。トランシーバーみたいで格好いいやろ」
彼女は笑っていた。いや笑うしかなかったのかもしれない。
俺が気の利いたことを何一つ言えないまま、彼女は白鷺駅で下りて行った。俺はその小さな後姿が人並みの中に消えていくのを電車の中から茫然と見送った。
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