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01 - オルルッサ大陸西方に
オルルッサ大陸西方に位置するバクティアリは、国土の真ん中を貫く大陸公路の要衝として栄える国である。
隣国イズミルとの国境沿いにあるアルカダッシュは、大陸公路を行き来する旅人や商人を相手に宿場町のにぎわいをみせていた。
日が西へ傾きはじめるころ、町長ケルマンの屋敷に二人のマラティヤがむかえいれられた。
「ようこそいらっしゃいました」
薄い髪も伸ばされた髭もすっかり白くなったケルマンは、緊張した様子で拝礼する。
自分の歳の半分にも満たない若輩にそんな態度をとったのは、目を惹きつけられずにはいられない額の紋章のせいばかりではなかった。
シヴァス人の青年は社交的でありながら泰然とした存在感を示している。
大地の神カースの代理人である以上に、生まれながらにまとう王者の資質に対して町長は膝を折ったのだった。
彼がアイディーンの後ろにひかえる人物に気づいたのは、しばらくたってからだ。
ひととおり挨拶を交わして座につき、ふと目をやって彼を見た瞬間、比喩でなく全身が硬直した。
あまりに冷酷な美貌が恐怖をもたらしたのか、それともスィナンに対する本能的な反応なのだろうか。
町長の異様な態度を察したアイディーンは、巧みにアルカダッシュの交易の話をもちだして老人の意識を自分へ向けさせる。
シヴァスを発ってひと月、彼にかぎらず人々の心に刷りこまれたスィナンへの劣悪な思惟というものを、ことあるごとに感じていた。
それはたんなる日常に過ぎず、アイディーンが配慮などしなくてもカシュカイはわずかな表情さえ動かさなかっただろう。
しかし、他者の暗い感情や言葉にくりかえしさらされればひどく精神を疲弊させるのは当然であり、実際彼はこのところ体調がいいとはいえなかった。
そもそもスィナンの青年はいちじるしく体力が脆弱である。
アイディーンは初め、彼の細すぎる体格が原因かと思っていた。
並みを越えるだろう身長にくらべて骨格も筋肉のつきかたも華奢としかいえない細さなのはたしかだが、本人の言によればこれは本質的に人間と肉体の構成が違うためで、スィナンとしては普通だという。
運動能力も決して低くはなく、むしろ瞬発力の高さはとびぬけているが、持続力という点では並みを大きく下まわっている。
その奇妙な不均等さはアイディーンに小さくない危惧と不可解さを覚えさせた。
そういった事情もあり、カシュカイは今回の旅で疲労をため続けることになったのである。
アイディーンもそれに気づいてからは進行速度をおとすなど対策を講じたものの、体調万全というわけにはいかなかった。
「このあたりに魔属がでるというのは本当なのですか」
若いマラティヤたちを前に、町長は恐る恐る尋ねた。
かろうじて理性を保っているが、アイディーンがいなければその場を逃げだしたい心境だったに違いない。
大気のマラティヤには目も向けず、ひたすら意識をアイディーンへだけ集中させようとする態度があからさまだった。
大地のマラティヤはそのことには触れず如才なく答えた。
「シヴァスの預言士の言葉と、この周辺で行方不明者が多くでている点からみて、間違いなくいます」
「失踪者が戻ることはあるでしょうか」
「まったくないとはいえませんが、魔属にとって人間は食料とする以外にまず価値がありません」
可能性は低いと言外に告げられて、町長は肩をおとした。
魔属に対しての純粋な恐怖と同時に彼の立場として、こんな不穏な噂がたって、しかもそれが魔属のせいなどと判明すれば、アルカダッシュから人が遠のくのではないかという打算的な恐れを生みだしていた。
「なんとしても魔属を始末してください」
「それが我々の役目です」
大地のマラティヤは気負いなく答えた。
「日没後にここを発ちます。魔属が出没するというヤルム山はどれくらいかかりますか」
「道に不案内でなければ一刻ほどですが、山までの道を覚えている馬がおります。どうぞお使いください」
礼を言った大地のマラティヤの横で、スィナンの青年は一言も話さず身動きもせず、人形のように座っていた。
いや、人形というには冷たい威圧感をもちすぎている。
ケルマンはいっそう大地のマラティヤにすがるような意識を向けたが、またたくごとに変化するスィナン特有の妖眼を無視することはとうていできず、ときおり青年の髪が揺らぐのさえ気にせずにはいられないのだった。
この人物が自分たちを救済する神の遣いだと認識する理性はかろうじて残っていたが、スィナンという禍々しい存在への恐怖は決して消えることはない。
なぜ大地のマラティヤはこんな人物と行動を共にしていられるのだろうか。
同じマラティヤだから、あるいは神の力を授けられた特別な人間だからといっても、彼はたしかにケルマンたちと同じ唯人に過ぎないのである。
そうだとしたら理屈も感情もなく根底からわきあがる、魔属に対するのに似たスィナンへの恐れをもたないはずがない。
しかし彼は常に鷹揚な態度で、ひとつの感情に引きずられるということがないようだった。
「では、日暮れまで休ませてもらいます」
「のちほど軽い食事をお持ちいたしましょう」
町長の申し出に、大地のマラティヤは礼を言って席を立った。
不思議に頼りがいのある青年だ。
たしか二十になったばかりと聞くが、成熟したおちつきがある。
しかし続いて席を立った大気のマラティヤには、やはりどうしても目を向けることができず、彼が室をでて姿がみえなくなるまで、ケルマンは再び襲ってきた動悸に息をひそめて、ただ深く拝礼したまま微動だにしなかった。
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