第1章  過去の男

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第1章  過去の男

 なんでこんなことになったんだろう……。  ため息ももう何度目かわからない。  都内の自宅を出てから電車を三回乗り換えて二時間以上。周囲は日本の古き良き故郷といった感じの、映画やドラマに出てくるような農村の風景に変わっている。  植えて間もない田んぼに目にも鮮やかな緑の山々、合間に集落が点在している。  こういうところの子どもって学校まで何キロくらい歩くんだろう。歩いて十五分じゃ着かないよな。  こんなド田舎にどうして来る気になってしまったのか。いや、原因なんかわかっている。こんな山奥に引っ越す決心をした原因は、恋人の大友彰一(おおともしょういち)だ。  いやもう元恋人だ。  今ごろはバリ島のチャペルで誓いの言葉とやらを聞いているに違いない。  生涯を誓います。なんて薄っぺらい言葉だろう。  ゲイであることを隠して、世間体だか親だかのために結婚を選んだ元恋人の顔を思い出してしまい、きつくかぶりを振った。  あんな男のことなど、忘れてしまおうと思っている。でも六年もつき合った相手をそうそう簡単に忘れられるはずもない。それでも忘れなければ。  そのために仕事も辞める決心で、あいつと顔を合わせる可能性のないこんなド田舎まで移住体験に来たのだから。  一ヶ月前の夜を思い出してしまい、富和灯里(ふわとうり)は切れそうなほど唇を噛みしめた。
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