第1章  過去の男

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「灯里、あのさぁ。結婚しようと思うんだ」  なじみのホテルでねっとり濃厚なセックスのあと、大友は身構えるでもなく深刻になるでもなくいつもの気軽さで告げた。  まだ快楽の余韻にざわめきが残る体をシーツに投げ出してぼんやりしていた灯里は、その意味をつかみ損ねて無邪気に尋ねた。 「へえ、誰が?」 「ん、俺が」  悪びれないいつもの笑顔で大友は灯里の背中を撫でる。  結婚…、俺がって? 灯里はきょとんと目を丸くした。  そうやって目を見開くともともと丸くて大きな目がこぼれ落ちそうになる。  黙っていればきれいな顔でじゅうぶん通じる灯里だが、その丸い目と気が強いところがかわいいと性別を問わずに言われてしまうことが多い。  しかもやわらかな髪質と細身の体つきのせいで、172センチという実際の高さよりも小さく見られがちだ。大友にもそこがかわいいとしょっちゅう言われてきた。  その大きな目を灯里はぱしぱしと瞬いた。 「はあ?」  ようやくその意味を理解した灯里が驚いて体を起こした。それを見た大友は芝居じみた仕草で両手を上げる。 「やだな、そんな驚くなよ。俺ももうすぐ37だよ。結婚の遅い業界だけど、そろそろ遊びは終わりにしとけって周りもうるさくなってきたしな」  男が勤めているのは大手広告代理店だ。大抵のことは面白がる体質の業界だから、遊び上手で恋愛にも仕事にも積極的なタイプが多い。  結婚は早い奴も遅い奴もいるが、圧倒的に遅い奴が多くて離婚も浮気も不倫も多角関係も多い業界だった。
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