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6章 束の間の平穏、そして
頬をそよそよと、優しい風が撫でていく。山の匂い、土の香り……町中とは違う濃い空気を、十二歳の珱真は胸いっぱいに吸い込む。
(ああ……これは夢だ……)
今の珱真は思った。懐かしい、幸せだったあの日々。確か、身体検めの半月ほど前のことだっただろうか。
珱真は蒼呀と二人、栗を拾うために山を登っていた。小籠を腰につけ、栗の大木目指してお喋りしながら、赤や黄色に染まった山道を歩いて行く。
――珱真、そろそろ帰ろう。すぐに暗くなってくるからな。
籠をいっぱいにし、さらに、団栗などの木の実も拾い混ぜたところで、蒼呀が声をかけてくる。珱真はうなずき、籠を抱えて立ち上がった。
――ん? どうしたんだ、珱真。
と、さっそく蒼呀が、珱真の足許を見咎めてくる。足首には、いつ切ったのか分からない細い切り傷ができていた。木の枝か灌木を弾いてしまったのだろう、それがひりひりと痛むのだ。
大丈夫だよ、と珱真はかぶりを振った。歩けないほどではないし、こんな傷をこしらえるなんてしょっちゅうだ。だが蒼呀は珱真を適当な切り株に座らせ、裾をたくし上げてじっと傷を検分する。
――少し血が出てるな。
――平気だよ、こんなの……っあ、
が、蒼呀は聞かず、何と、身を屈めて足首を持つとそこをぺろりと舌で舐めた。珱真は驚く。蒼呀からこぼれた舌の肉色の鮮やかさ、その舌がもたらしてくる熱く濡れた感触が、珱真の身の裡を奇妙におののかせる。
――……っ、……。
息を詰めていると、ややして舌は離れていった。蒼呀は平然と「家でもう一度、きちんと消毒だな」とつぶやく。
うろたえているのは自分だけなのだろうか。そう思うと何だか恥ずかしい。動揺を気取られないよう、珱真はこぼした。
――蒼呀って時々、動物みたいなこと、するよね……。
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