海辺を走る

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 制服をきちんと着て英単語帳を手にしている。きりっとした、真面目なかんじの少女だ。  さっき停まったみさき公園で乗ってきたようだが。  陽造が、何? という顔をすると、少女は座ったまま前屈みになり身を乗り出した。 「あの、やめてもらえますか」  硬い口調でそう言った。  え? と戸惑うと、少女は、すくっと立ちあがって近づき、怒気を帯びた顔で陽造を見下ろした。 「人の顔をじろじろ見んとってください。昨日も、一昨日も。何かご用ですか」 「ええ? いや」  そんな勘違いをされたのは初めてだった。自分が見られていると勘違いする人はいるかもしれないが、面と向かって抗議をしてきたことはない。陽造は面食らい、 「それは、違う。窓の景色を」  しどろもどろになって言い返そうとするが、少女は、 「ええかげんにしてください」  と言い捨てて、元の席に戻り、憤然とした表情で英単語帳に目を落とした。頬が紅潮している。思い切った態度に出て、緊張したり恥ずかしがったりもしているらしい。  陽造は、そんな少女のようすを観ている自分に気がついて、慌てて視線を逸らせた。  おい、勘違いするな、おじさんは海をだな、と説明しなければならないのだが。  時機を逃したようだ。こちらに向けられる乗客の視線に、陽造は口をつぐみ、うつむいた。  列車は尾崎駅に停まり、乗客が増えて陽造と少女の間にも人が立つ。  陽造は自分が厭らしいおっさんであると決めつけられたみたいで、釈然としないのだが、車内が混みはじめて少女とは隔てられてしまった。気持ちはもやもやしたままで、どうしようか、ちゃんと説明しようか、と考えつづける。  車内から人がどっと降りて見通しがきくようになった。難波に近い天下茶屋駅だった。  陽造は、弁明するべきか、せざるべきか、迷いながら顔を上げた。  向かいのシートに少女の姿はすでになかった。
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