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01 - おぞましい光景だった
おぞましい光景だった。
父がなんの研究をしているのかは知っていたが、目の前でくりひろげられているものがそれだとはとうてい思えなかった。
切り裂くような悲鳴があがって、耐えられず両耳をふさぐ。
ほんのわずかに開かれた扉をそれ以上おすことは、とてもできなかった。
部屋のなかに父の横顔がみえる。
ほかに二、三人の法術士がいるのがわかった。
そして部屋の中央にはひとりの青年がひざまずいている。
彼を中心にして床には大がかりな術陣が描かれていたものの、どんな意味をもつのかはわからない。
術陣は彼の身体にもいくつもあったが、赤い染料で描かれていると思ったそれは直接肌に刻みこまれた傷だと気づいた。
床の広がりもすべて血の赤かと恐ろしくなり、震えがとまらなくなった。
これはいったいなんの儀式だろう。
青年は天井から伸びた鎖に両手を吊りさげられていて、遠目にみても鎖の巻きついた腕は青さを増して内出血をおこし、場所によっては皮膚が破れて血をあふれさせていた。
無理もない――彼は絶え間なく襲ってくるらしい苦痛に、おそらく意志とは関係なく身体をよじらせ、ときに激しく痙攣していたのだった。
身体も髪も異常な量の汗で濡れそぼっている。
血を混じらせながらとめどなく身体から落ちていくが、彼はそんなことに気をやっているはずもなかった。
幾度目かの悲鳴をあげたときにはもはや完全に喉がつぶれていた。
室内の法術士たちはわずかも動かない。
ただひとりだけが、澱みなくなにかの詠唱を続けていた。
術文からかろうじてこれが法術の一種だとわかるものの、そうでなければ魔属をあがめる邪教の生贄の儀式とでも思っただろう。
それほど狂気に満ちた光景だった。
硬直がようやくとけると、この現場にでくわしたのを激しく後悔し後ずさる。
そのとき、うつむいたままだった青年が顔をあげた。
濡れてからみあった髪の陰から暗い眼がこちらを見ている。
正気ではない、と思った。
そう思いたかった。
だから彼がその一瞬に風の精霊に運ばせてきた声ならぬ声も、気のせいだったにちがいない。
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