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店内の空気が張り詰めるのを、肌に感じる。新聞を読む客も、煙草をふかす客も、素知らぬ顔を装いながら、確かに瞬時、息を飲んだ。店主も厨房からこちらのほうを盗み見た。
若さゆえの強がりか、若者はそんな緊迫の中でもにやにや笑っていた。後頭を壁に付けて、狭上の顔を下目遣いに見る。右手の指先でカウンターの天板を弾く音が、鈍く響く。
「〝赤烏〟のことかい? オッサン、それ訊いてどうしようってんだ」
「自分がこれから走る道のことだ。知りたいと思っちゃおかしいか?」
「これから走るって? あんた、オアシス目当てに来たんじゃ――」
ねぇのかよ、という語尾に、携帯電話の着信音が重なった。紐状のストラップが一本きりの、意外に装飾の少ない電話機を取り出した若者は、画面を見ると眉をひそめた。
彼は電話を耳に当てて喋りだした。他の卓の客たちが新聞を畳み、吸殻を灰皿に押しつけて、一人また一人と席を立ち始める。
狭上もラーメンを食べ終え、コップの水を飲み干して立ち上がった。ピアスの若者は、新たな話し相手に気を取られて、狭上のことなど忘れてしまったようだ。
「ああ? どこにいたってオレの勝手だべや。ンなこと知るかよ。関係ねぇ話だろ……ふん、それで、どうしろってんだよ」
狭上のほうも若者にはかまわずに食堂を出た。西の空にはまだ赤みが残っていたが、辺りは薄闇に包まれていた。
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