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東岸の耕作地に、朝から午前中にかけての直射日光は当たらない。でも、東岸の気温は、上がっていく。
それは、西岸に直射日光が当たって気温が上がり、その暖かさが東岸にも伝わるからだ。
そこに、午後、直射日光が当たって、作物がよく育つ、ということになる。
でも、実際の収穫量の差は、よくわからない。
東岸を100として、西岸は95か98なのかもしれない。
とにかく、差があった。でも、耕作地を分配するときは、同じ価格で分配していた。
同じ面積を同じ価格で分配していた。
そのことに対して、西岸に入った入植者は、訴えたのだと思う。
その決着は、どうなったのかわからないが、少ない分だけ、支払ったものを返してもらったのかもしれない。
で、その、西岸の入植者は、耕作地を放棄して、もといた場所に帰っていった。( あまり返還してもらえなかった人たちは、放棄するかもしれない。)
西岸には、耕作地だけでなく、町もあったので、町も放棄することになった。( 入植者は大人数で、何年も経っていたら、耕作地を分配した人間に、返還できる資力が残ってないと思われる。)
もしかしたら、崖が低いところでも、耕作地を放棄したかもしれない。
( ピラミッドの多くは、ナイル川の西側にある。
ピラミッド本体の下は、岩盤だろうが、ピラミッドを作るための傾斜路の下は、放棄された耕作地だったのかもしれない。)
その後、長く続く飢饉が起こった。普通のときの10とか20しか収穫できないことが続いたので、
エジプトの南部のナイル川沿岸の、西岸の耕作地に、再入植したのだった。
そこは長年、放棄されていたので、草がぼうぼうに生えていた。
草だけでなく、木も生えていた。
再入植するためには、草を取り除かなければならない。
根こそぎだ。根こそぎ取り除かなければ、作物がたくさん取れないと思う。
草を根こそぎ取り除くには、土も取り除かなければならないと思う。
長年、草が生え続けたら、根も相当広く深くはることになり、根だけを取り除くなんてことは不可能だし、手間も時間もかかる。
だから、草を根こそぎ取り除いたら、土も取り除くことになり、
第1回分配のときの、旧石器時代の道具があるようなところまで、土を取り除いた可能性がある。
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