2 証明

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2 証明

 その存在の公開の日。あの若林の新作がようやく見られるということで、参加者は常の倍以上になった。  日本のロボット工学者としては稀有なほどの長身と端整な容貌とを持つ若林は、それだけの観衆を前にしても、少しも興奮していなかった。むしろ、少しでも早くこの厄介な仕事を終わらせたいといった様子で、事務的に説明を進めていった。それも充分興味深いものではあったが、しかし、観衆が待ち望んでいるのは理論ではなく、その集大成であるロボットだった。  焦れて焦れて焦らされて、これ以上待たされたら暴動でも起こしかねないと観衆が思った頃、若林はいまだ不本意そうな表情で、ついにその存在を壇上の下手から呼び寄せた。  最初、誰もそれがロボットだとは思わなかった。黒いスーツ姿の「彼」は、すたすたとごく普通に歩き、若林の横で止まった。  ――学生か、助手か?  そう思って、観衆が戸惑いのざわめきを立てはじめたとき。  「彼」は観衆に向き直り、実に優雅に微笑んだ。 「初めまして。〝夕夜〟と申します」  観衆は一瞬で静まり返った。  「彼」は怪訝そうな表情を見せたが、自分が言い足りなかったせいだとでも考えたのか、また再び微笑んでこの言葉を付け加えた。 「若林に()()()()()()()()()()の〝夕夜〟です」  見てはいけなかった。知ってはいけなかった。  これほど完全な人間型ロボットなど。これほど美しい人間の顔など。  正確に言えば、彼をはじめとする関係者にとって、その顔は知らないものではなかった。あの〝桜〟のもう一人の設計者――正木凱博士のものだったから。  若林の同期であり、現在K大学で若林と同じく准教授の職についている正木は、知識工学におけるその抜きん出た実力もさることながら、美女と見まがうばかりの凄艶な美貌も合わせ持つ。  だが、写真を撮られることを非常に嫌い、それゆえにマスコミの取材もいっさい受けない彼の顔は、一般人には意外なほど知られていない。あくまでも、一般人には。知っている者が見れば、〝夕夜〟のこの顔は、正木をモデルにしたのだと一目でわかる。それも若い頃。学生時代の正木を。  しかし、若林は〝夕夜〟の顔のモデルについてはいっさい言及しなかった。無論、質疑応答の際、顔のモデルについて訊ねた者はいた。それも、どなたかによく似ておられるようですが、などという実に嫌らしい訊き方で。だが、それに対する若林の答えは、何とも人を食ったものだった。 「そうですか。それは奇遇ですね。ちなみに、それはどなたでしょう? 私でも知っている方ですか?」  明らかに、〝確信犯〟だった。その場に正木がいれば、若林もそのようなしらを切ることはできなかっただろうが、正木はその日、会場には居合わせなかった。自分の同僚の晴れの舞台にもかかわらず。  それでも、その質問をした者が、あるいは別の者が〝それはあなたの同僚でもある正木凱准教授です〟と切り返してもよかったのだ。しかし、誰にもそれができなくなったのは、そのとき〝夕夜〟が唐突に口を挟んできたからだった。 「私が、そのどなたかに似ていては問題なのでしょうか?」  微笑みながら、〝夕夜〟はその質問者に訊ねた。 「いや、それは……」  相手が人間ではなくロボットなのだということを忘れてしまった質問者は、うろたえて言葉を濁した。 「そもそも、私は人間に似せて作られています。そのどなたかは、少なくとも人間なのでしょう? ならば、()()似てしまうこともありうることだと思いますが?」  冷静に考えてみればただの屁理屈なのだが、その質問者の口を封じるには充分だった。  どう見ても、〝夕夜〟はロボットとは思えなかった。  まず、動きが違う。〝桜〟も発表された当時は人間そのものだと絶賛されたが、それでもまだロボットくささを多分に残していた。今こうして〝夕夜〟を目にすると、そのことが改めてわかる。彼女にはとてもこの〝夕夜〟のような、人を幻惑するような微笑は浮かべられなかっただろう。  だが、何と言っても特筆すべきは、〝夕夜〟のこの会話能力にある。人間同士なら何ということもない会話だが、これをロボットにさせるためにどれほどの時間と苦労を重ねなければならないことか。同業者だけにその難しさがよくわかるのだ。 「もう、ご質問はありませんね?」  待ちかねたように若林が言った。いつこのセリフを言おうかとずっと考えていたようだ。  訊きたいことはまだ山ほどあったが、それらは若林が素直に答えてくれるとは思えないことばかりだった。それならここで質問できる事項はもう残されてはいない。  しかし、そのとき観衆の一人が手を挙げて、強ばった顔で若林に質問した。 「それは……その〝夕夜〟は……本当に、ロボット……なのですか?」 「……は?」  もはやうんざりした表情を隠そうともしていなかった若林は、まったく思いもかけない質問だったのか、本気で驚いたように目を見張っていた。  彼を含む周囲の反応も同じようなものだった。が、その質問者の言葉は、まさしく彼らの内心を代弁していた。 「自分でも馬鹿な質問をしていると思っています。しかし、私にはどうしても、その〝夕夜〟がロボットであると信じられないのです。そこで、ミスター若林。何か〝夕夜〟がロボットであるという証拠を見せてはもらえませんか? このままでは、私は〝夕夜〟は人間ではないのかという疑惑を持ったまま帰国しなければなりません」  若林は困惑したように隣の〝夕夜〟を見た。〝夕夜〟もまた困ったような表情を若林に向けた。そして、それはやはりロボットのものとは思えなかった。 「証拠……と言われましても」  若林は自分の頬を掻きながら、気を取り直したように答えた。 「今ここで、〝夕夜〟を解体するわけにもいきませんし……」  もっともと言えばもっともだった。だが、若林の苦境を救ったのは、またしても〝夕夜〟だった。 「解体とまではいかなくても、一部分解ならできるでしょう?」  何でもないことのように〝夕夜〟は言い、おもむろに自分の左手を右手でつかむと、そのまま、ドアノブのようにひねった。  バキッと嫌な音が場内に響いた。観衆の中には、思わず目をそむけてしまった者もいた。  なんと〝夕夜〟は、自分で自分の左手をむしりとってしまったのである。  だが、彼の体はすべて金属でできているわけではない。人工骨・人工筋肉・人工血液・人工皮膚……限りなく人間に近づけたものが複雑に組み合わさっている。現に、〝夕夜〟の先のなくなった左手首からは、赤黒い液体がぽたぽたと床に滴り落ちていた。ただ一つ人とは違っていたのは、そこから血管ならぬコードが何本も垂れ下がっていたことか。 「夕夜!」  創造主は悲鳴に近い叫びを上げた。 「おまえ、何を考えてる!?」 「いえ、ですから、私がロボットであるという証明をしたいと思いまして」  生真面目に〝夕夜〟は答えると、自分の無残な左腕とねじりとった左手とを、質問者に見せつけるようにして掲げてみせた。 「本当は首をはずしたほうがよかったんでしょうが、そうすると機能停止してしまうかもしれませんので。……どうかこれでご容赦いただきたいのですが」  そうして、〝夕夜〟はまたにっこりと微笑んだ。  その顔は凶々しいまでに美しく。  質問者は声もなく、ただうなずくことしかできなかった。
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