1 外圧

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 彼がパソコンを立ち上げたのは、遺書を書くためにではない。  最後にもう一度、あの顔を見たかったから。  製作者の強い要望で、撮影を禁じられたはずの〝最高傑作〟を隠し撮った、おそらく唯一の写真。彼は大金をはたいてそれを買い求め、誰にも見られないよう、いくつものプロテクトをかけて、このパソコンの中へと隠した。  望遠で撮ったのだろう。画面の全体を、まっすぐ前を向いた青年の顔が占めている。栗色のさらりとした短髪。色素の薄い瞳。白い肌には文字どおり傷一つなく、かすかに微笑をたたえている。  彼が死なねばならないのは、間違いなく、()()のせいだ。しかし、彼はこの写真を見るたびに、憎悪よりも感嘆を覚えてしまう。  ――ああ。それでもおまえは美しい。  〝破滅的〟、だ。    *  その存在は、完成品そのものではなく、その存在を構成する、幾多の論文や特許から業界に知れ渡った。  それは人間型ロボットの雛形となった〝桜〟の後継でありながら、まったく新しい理論の上に成り立っていた。関係者たちはにわかに色めき立った。彼らはこの論文を書いた人物をよく知っていた。  若林修人博士。あの〝桜〟の設計者たちの一人。  ――ここまで詳細なデータを掲載しているということは、現物も必ず存在しているはず。  彼らがそう考えたのも、当然と言えば当然のことだっただろう。近いうち、〝桜〟と同様、若林が勤務するK大学が中心となって一般公開するだろうと考えたことも。  だが、意外なことに若林は、その存在を公開することをかなり渋っていた。その筋によると、今回のロボットはK大学で公的に製作されたものではなく、若林の個人的な所有物であり、ゆえに保管も若林の自宅で厳重に行われているのだという。つまり、誰もその存在を見たことがないのだ。  普通なら、苦労して作り上げたロボットほど、一般公開して称賛を浴びたいと考えるものだ。それを見せるどころか隠したがる若林の行動は、不可解としか言いようがなかった。  それでも、それをしたのが他の工学者だったならば、誰も無理に見たいとは思わなかっただろう。若き天才・若林は、実質、人間型ロボットの最高権威だった。その彼が作った最先端のロボット。見るなと言うほうが無理だった。  結局、〝外圧〟に屈したような形で、若林はついにその存在を公表することに同意した。しかし、それに当たって彼はいくつか条件を出した。  まず、マスコミに一般公開はしない。取材もいっさい受けつけない。そして、これがいちばん厳しく申し渡されたことだが、その存在の顔を写真や動画などで外部へ流出させることは絶対に許さないというのだった。  盗作されることを恐れているのだ。関係者たちは皆そう思った。だが、たぶん若林はそんなことは問題にしていなかった。彼がそこまでその存在の顔を知られることを恐れた理由。それを彼らが知ったのは、実際にその顔を目にしたときだった。
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