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 車を発進させると、ハンカチを差し出しながら睦生が問いかけてきた。そっと首を振る、「やっぱりな」と小さな声が聞こえた。  天陽が亡くなってから、空腹を感じたことはない。たまに喉が渇いて、水を飲むとまた涙が溢れる。その繰り返しだった。  途中天陽が入院していた病院、つまり睦生の勤務先近くまできたとき、中華料理店が目に入った。睦生はその前で車を止めて中に入っていく。少しすると手にビニール袋を提げて戻ってきた。それからまたしばらく走り、やがてアトリエに着いた。 「……ありがとうございました」  お礼を告げた後、財布から万札を出して睦生に差し出した。 「なんだ?」 「この辺は、バスがなかなか来ません。ここからだと、病院の方までタクシーでも呼ばないと帰れませんから」 「そんなものはいい」  その手をぐっと押し返された。 「そんなわけにはいきません」 「だったら、喉が渇いたからその代わりに茶でも飲ませろ」  ずっと下を向いていたのだが、驚いて思わず顔を上げた。思ってもみなかった突然の申し出に戸惑ってしまう。だがここまで送ってもらったお礼はしたかったので、仕方なくどうぞと睦生を中へ招いた。     
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