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ふと人の気配を感じ、振り返ると弁護士の栗原が立っていた。今到着したという感じにはとても見えない。いつから栗原がここにいたのかわからないくらいずっと、天陽に縋りついていたようだ。
「児玉さん、そろそろ桂木さんを連れて行かなければなりません」
聞きたくなかった言葉を、困ったような顔で栗原が告げた。
「……いやだ」
それについて栗原はいいとも、悪いとも言わなかった。ただ、黙って立っている。わかっている、いくら天陽に縋りついていたとしても、彼が亡くなった瞬間からいろんなことが変わってしまったのだ。
ただの最後の悪あがき、それをわかっているから栗原も何も言わないのだろう。それから少しして、柊は天陽からそっと離れた。
「お待たせして、すみませんでした」
「いいえ、いいんですよ。では行ってきますね」
しばらく、ひとり残された病室で動けずうずくまっていた。再び栗原がやって来る。
霊安室に移動する天陽に付き添った後、諸々の手続きを終えてこちらに戻ってきたそうだ。そして抜け殻のようになった柊をアトリエまで送ってくれた。
「ひとりで大丈夫ですか?」
帰り際、栗原はそう声をかけてきた。頷いて、かろうじてお礼だけ短く伝えるとドアを閉める。もう誰ともかかわりたくなかった。
初めて天陽が柊にくれた黒い器に水を汲んで、アトリエに入る。器の中の青緑の水玉は、今もつやつやとかわいらしく光っていた。
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