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香澄はそれでいいと思っていた。皆自分をそっとしておいてくれる。
中学を卒業するころには両親も赴任先から戻り、また神奈川で暮らせる予定だったし、それまでの間なら慣れない大阪でも我慢できる。ひとりで居ることは辛くなんかない。この掠れた声で喋って、妙な顔をされるくらいなら、居ないものとして扱ってくれた方が気が楽だ。そう自分に言い聞かせ、日々をやり過ごしていた。
大学3年生の清田誠が教育実習生として香澄の学校を訪れたのは、香澄が大阪に来て半年後の9月のことだった。朝礼で紹介された清田はひょろりとした色白で、印象の薄い青年だった。
実習生が来ることは珍しくはなく、社会科を受け持った清田が、初めて香澄のクラスの授業を担当した時も、香澄は特に何の感情も持たなかった。
清田の授業は、慣れないせいもあるのだろう、あまり要領を得ず、頭に入って来なかった。上がり症なのか、教壇ではいつも耳が真っ赤だった。
生徒はみな静かに清田の授業を聞いていたが、「赤耳キヨっち」というあだ名が付くのに時間はかからなかった。ある意味、あだ名が付けられるのは歓迎の印でもある。
この人もきっとすぐに教壇に慣れて、そのうち教師になるんだろうな。清田について香澄が思ったことは、たったそれだけだった。
清田が耳を赤くしながら実習をこなす間も、香澄は相変わらずクラスメイトと交わらず、授業で指名された時以外は、声を発することも無かった。
清田の授業で一度だけ当てられたが、「分かりません」と小さく答えてまた着席しただけだった。
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