未来

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 商工会の会長や顔役ら、街の名士は集まって話しあい、警察署長にかけあって罪をかるくするように嘆願した。博徒の親分が同様の理由で罪を軽減された例がないわけではない。街の有力者は迅鷹のために優秀な弁護人も用意した。  そうして赤尾一家の生き残りで逮捕された者らと共に、裁判は数か月にわたって行われ、最終的に迅鷹には五年の禁固刑が言い渡された。それでも短くなった方かもしれない。博徒の裁判だ。悪くすれば終身刑もありうる。隼珠や子分らは判決を聞いたとき、ほんの少しだけ気持ちがおさまる思いがした。  迅鷹の留守を、自分たちの手できちんと守らねばならない。戻って来るまで、縄張りを守り、請け負った仕事もぬかりなくこなさねばならない。堤防工事は、迅鷹が出入り前に同業を営む親分に相談していたらしく、工事は支障なく始められた。飯場も沢口の老いた父親が息子殺しの犯人が蛇定だと知って、無償で工場を貸しだしてくれた。  親分不在の組を守るため、隼珠はそれから亮らと共に奔走した。残された子分と、日々骨身を惜しまず働いた。そんな隼珠を子分たちも以前とは見方を変えてきた。彼らは隼珠が蛇定に蹴りを入れて倒したところを間近で見ていたらしい。あの雷のような素早い足技に度肝を抜かれた子分たちはそれ以来、隼珠への態度を改めたのだった。昔は隼珠を苛めていた子分らも今では仲のいい間柄になっている。  あの日以来、隼珠には『足蹴り隼珠』というあだ名がついた。いつの間にか、そう呼ばれるようになっていた。  博徒はふたつ名がついて一人前という風潮がある。隼珠はどこへ行っても、『早業の蹴りを見せろ』とせがまれるようにまでなってしまい、いささか困らせられたりもしたけれど、仲間に認められたような気がしてそれも嬉しかった。  月命日には清市の墓を参り、博徒として生きていくことの許しを願った。返事はないけれど、人様に恥ずかしくない生き方だけはすると誓う。  迅鷹からは時折、検閲された手紙が届いた。それには宮城集治監に収監されていると書かれていた。手紙が来れば無事にすごしていることがわかる。隼珠はそれを心の支えにした。
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