白城の鷹

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 カイゼル髭をピンと跳ねあげ、好色そうな目をこちらに向けている。隼珠は男に丁寧にお辞儀をした。そうしながらも胸の内にいかんともしがたい悪寒が走り抜ける。  ――今夜、自分は、あの男に買われていく。  世話になっている親分の伊助(いすけ)から、女郎のように売られて、これから先は情夫として生きていくことが決まっているのだ。  まだ心の準備ができていない隼珠は、逃げるように座敷を後にした。  賭場のひらかれていた料亭の奥座敷から廊下を伝って玄関先に出ると、草履をはいて広い庭へ回る。外までは盆のかけ声も聞こえてこない。  隼珠は人のいない裏庭へと進んでいった。少し離れたところからお囃子が響いてくる。生垣の向こう、小路の続く先に目をやれば、暮れかかった空にはためく(のぼり)が見えた。近くの樋山神社の祭りの幟だ。七年前、兄の清市が殺されて隼珠が大怪我を負わされたあの祭りだ。  ひゃらりひゃらりと響く笛の音に誘われて、あの日のことを思いだす。そうして、優しい兄の笑顔が脳裏によみがえった。  あのころ、十二歳年上の兄の清市と隼珠は町はずれの古い長屋に住んでいた。両親は隼珠が幼いころに虎列剌(コレラ)をわずらい死んでいたから、清市とふたり暮らしだった。鶴伏の西にある料亭で料理人をしている兄とは、貧しくともそれなりに幸せな生活だったと思う。  あの日は、朝から厚い雲のはった薄暗い天気だった。  清市の仕事の休みでもあったその日、隼珠は祭りに行きたいと駄々をこねた。いつ雨が降るか分からない曇天に兄は渋ったが、結局「しょうがないなあ」と連れていってくれた。街はずれの鎮守の森にある神社でいっとき遊び、帰りは飴細工を買ってもらって上機嫌の隼珠に、降り始めた雨に番傘をさしかけた清市は笑っていた。  呼びとめられたのはそのときだった。知らない三人組。どう見ても堅気ではない。 「泉橋亭の、井口清市だな」  目つきの異様に鋭い男が、兄の名を読んだ。  そうして、雑木林に連れこんで清市をメッタ斬りにした。隼珠も男に背中を斬られた。泥の中に倒れこんで、後のことはよく憶えていない。怪我と高熱で五日間生死の境をさまよい、自分だけが生き残った。
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